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私たち自身、「チェンジ・エージェント(変化の担い手)」を目指し、また、組織や社会の変化の担い手の応援や育成のお手伝いをしていく中で、たゆまぬ実践と実績を重ねる数多くのチェンジ・エージェントの方たちとお会いしてきました。そうした出会いの中でも、印象深く、大きな影響を与えてくださっている方々の実践について振り返るシリーズの第2弾では、アダム・カヘン氏を2回に分けて紹介します。
アダム・カヘン氏は、南アフリカでの白人政権や黒人政権へのスムースな移行、さまざまな派閥間で暴力的抗争や政治腐敗の続いたコロンビアの近年の復活、互いに敵対しがちなセクター横断でのサプライチェーン規模の取り組みなど、さまざまな対立や葛藤にある複雑な課題を、対話ファシリテーションという平和的なアプローチで取り組み、成果を残してきました。世界のファシリテーターを志す人たちの間では、この10年ほどの間、「ライジングスター」として注目され、指導的な役割を果たしている人物です。彼の足跡とそのアプローチの特徴を見てみましょう。
「シナリオ・プランニング」という手法
カナダ人であるアダム・カヘン氏は、米国で電力・ガス会社や日本でエネルギー関連のシンクタンクなどに勤めた後、英国でエネルギー大手のロイヤル・ダッチ・シェルに勤務します。そこでの彼の仕事は、マネジャーたちの能力開発や戦力開発を進めるために、世界がどのような未来になりうるかについて複数のシナリオを策定することでした。
この手法は、「シナリオ・プランニング」と呼ばれ、1970年代石油業界大手7社の中でもぱっとしない存在だったシェルが、利益性でトップクラスに躍り出る上で、とても重要な役割を果たしたプロセスです。計画では予測を使用としますが予測は短期のことはあたっても、長期に関してはなかなかあたりません。シナリオ・プランニングはそうした予測手法を手放し、もし起こりうる一連の変化が始まったとしたら、どのような展開になるかについて徹底的に検討します。シェルはこの手法で、第一次・第二次石油ショック、グローバル化、環境・社会問題への企業責任、ベルリンの壁の崩壊、イスラム圏の台頭など、事業環境を大きく変えるような社会変化を事前にいち早く見抜き、マネジャーのメンタル・モデルの中にその備えを築くことで、競合よりも素早く的確な対応をしていったのでした。アダム・カヘン氏もまた、シェル有数のシナリオ・プランナーとして大きな功績を残します。
その功績を買われて、1992年、アダム・カヘン氏は南アフリカのシナリオ・プランニング・プロジェクトに加わります。弱冠30歳の若者が、南アフリカの政治、経済、社会などの各セクターのリーダーたちと一緒に、シナリオ・プランニングにとりかかります。
当時の南アフリカは、アパルトヘイト政策の廃止を宣言し、牢獄からマンデラ氏を釈放して、少数派の白人による政権から、多数を占める黒人の政権への以降を目指していました。しかし、具体的にどのような政策にすればよいか、議論百出で具体策は定まっていませんでした。そのために、シナリオ・プランニングが有益と思われていた、アダム・カヘンに声がかかります。
南アフリカで実現した共創したい未来のシナリオ
アダム・カヘンは、人種、政党・政策、職種などの異なるさまざまなグループから、南アフリカの未来を担う有力者たちをモン・フルールに集め、数ヶ月間にわたって十数日の対話を重ねます。この際に、シナリオ・プランニングが功を奏したのは、どのような政策や戦略、行動がよいかについて意見が対立する人たちの間でも、南アフリカの社会で今後何が起こりうるか、その外的環境に関しては、一緒に考える余地が十分にあったのです。自分の主張やものの見方をひとまず脇に置いて、ほかの人たちが何を考え、話しているか、社会全体で何が起こっていて、何が起こりうるのか、ありのままに聴き、理解することはどの参加者にとってもとても新鮮な体験でした。この過程で、互いにいただいていた憶測や偏見はぬぐいさられ、似たもののグループでは気付きえないような全体像の共通理解が広がり、共に仕事を達成するための関係性が築かれていきます。
南アフリカで起こりうる未来のシナリオは最終的に4つに収束され、そしてアダム・カヘンの驚いたことに、そのうちの一つ、「フラミンゴの飛行」シナリオは、参加者たちにとって共創したい未来のビジョン・戦略の基盤となりました。本来、シナリオ・プランニングの手法では、複数のシナリオはそれぞれほぼ同じ確率で起こるとされ、どのシナリオが現実になるかは選択できず、どれが起こっても受け入れる必要があるものとして策定します。実際、国の経済や社会といったマクロ環境は、どの一政党、一企業、一個人にとってもあまりに大きすぎて、単独で変えられるものではないからです。
しかし、南アフリカでは、ある種の奇跡が起こりました。白人と黒人、そして黒人の間でのさまざまな意見を異にするグループが、このモン・フルールに参加した人たちの多大な尽力によって、一緒に未来を築いていったのです。一本道とはいえず、紆余曲折はしていましたが、「フラミンゴの飛行」シナリオは、さまざまなプレイヤーの共通意図、関係性と、同期した行動によって実現していったのです。アダム・カヘンは、この経験を振り返り、その後も試行錯誤を重ねながら、従来型のシナリオ・プランニングとは異なる、「変容型シナリオ・プランニング」という手法を構築していきました。彼は、国家規模であっても、その社会の縮図と言えるような多様な利害関係者の代表する者たちが集まることによって、単独のプレイヤーには変えられないようなレベルの環境を変えうると考えたのです。(なお、さらにそのシステムを取り巻く、グローバル化やIT化、人口増加、資源問題などといったランドスケープレベルの課題に関しては、その不確実性と共に受け入れる対象となっています。)
アダム・カヘンのこの手法は、ジンバブエ、グアテマラ、コロンビア、カナダ、オーストラリアなどのさまざまな国で展開されます。中には、政治的な理由は他のさまざまな理由で潰えるプロジェクトもありましたが、対話アプローチは多くの参加者たちの間で、未来に関する可能性を開いていきました。
【関連セミナー】
2018年11月
アダム・カヘン氏招聘特別セミナー
「合意できない人たちと未来を共創するには~ストレッチ・コラボレーション」
【世界のチェンジ・エージェントシリーズ】
世界のチェンジ・エージェント(1)ピーター・センゲ氏
世界のチェンジ・エージェント(3)アダム・カヘン氏(後編)
世界のチェンジ・エージェント(4)ドネラ・メドウズ氏
世界のチェンジ・エージェント(5)ビル・トルバート氏