学習する組織
シナリオ手法(シナリオ・プランニング)ケーススタディ
シナリオ手法は、例えば、国際的な石油会社ロイヤルダッチシェル、内戦後の再興を目指すグアテマラ政府や、麻薬問題で疲弊したコロンビア政府をなど、国レベル、地域レベル、業界レベル、企業レベルなど多様な規模で、しばしば多様な関係者や専門家を巻き込んで実践されています。
価値観が多様化し、不確実で変化の激しい昨今の世界や事業環境において、共有ビジョンや長期戦略策定のベストプラクティスの一つとしてシナリオ手法(シナリオ・プランニング)が広がっています。
ここでは、適応型シナリオ・プランニングの事例としてロイヤルダッチシェルを、変容型シナリオ・プランニングの事例として南アフリカを取り上げ、その内容を紹介します。
シェルでのシナリオ活用事例(適応型シナリオ・プランニング)
変化が早く予想外のことが頻発し、また世界のある場所で起こった事柄が地球の反対側にも影響を及ぼすようなグローバルにつながり合う時代、企業はいかにして効果的な戦略を立て、厳しい経営環境を乗り越えていくことができるのでしょうか。
予測された石油需要のシナリオ
1970年代初期、シェルではシナリオ・プランニングの手法を活用し、世界中から多様な方法で集められた情報を基に、想定される未来の動向をまとめる作業を行い、シナリオを作成しました。当時、欧州・米国・日本では石油需要が継続的に増加し、一方で、主要な石油輸出国はいずれも経済力をつけつつあり、減少する石油埋蔵量を懸念していました。こうした石油の生産と消費の長期動向分析が予見することは、増加の一途をたどっていた石油の需要と供給がいずれ慢性的な供給不足と需要過剰に転じ、石油輸出国が主導権を握るということでした。
実際、石油危機が始まる前に、シェルのシナリオは既に石油の売り手市場化の傾向を予見していたのです。しかし、この予測は、シェルのマネージャーの長年の経験とそこから導き出される予測とはかけ離れた未来を示していたため、ほとんど見向きをされることはありませんでした。シェルのマネージャーの頭には、強固なメンタル・モデルとして、いつまでも成長を続ける石油市場があったのです。
マネージャーのメンタルモデルを変えた新しいシナリオ
シェルのシナリオ・プランナーが描いていた「適切な情報を届ければ、マネージャーが適切な判断を下す」という考えは失敗に終わりました。この経験からシナリオ作成チームが気付いたのは、自分たちの仕事は、意思決定者に情報を届けることではなく、世界観を考え直してもらうことが任務であるいうことでした。
その後作成されたシナリオは、マネージャーのメンタル・モデルに対処できるよう慎重に練り上げられたものとなりました。シナリオは、続いて起こった石油危機に際して、シェルのマネージャーに他社とは異なる行動をとることを可能にしました。競合他社は石油の供給能力の継続的拡大による供給過剰と利益逸失に苦しむ一方、シェルは、製油施設への投資を減らし、手に入るいかなる原油でも処理できるように製油施設を設計し、競合他社に比べて常にエネルギー需要の見通しを低く、そして正確に見積りました。
また、OPEC諸国以外での油田開発にも迅速に着手しました。これはシナリオがシェルのマネージャーに新しいメンタル・モデルを構築することを支援した結果であり、マネージャーの目には、供給不足、低成長、不安定な価格という新しい時代に向かう状況が見えていたのです。結果として、1970年では七大国際石油資本の中で最弱とされていたシェルは、1979年には最強といっていいほどまでに成長を遂げたのです。
複数の「起こりうる」客観的な未来を想定する
シェルでは、1960年代からシナリオ手法(シナリオ・プランニング)の導入を始めましたが、当初は「よりよい未来予測」を目指し、それに基づいた正しい唯一の戦略を導き出そうとしていました。その後シェルでは、事業の前提となる外部環境を予測、コントロールすることはできないと考えるようになり、現在世界中で起こっていることや、今後起こりそうなことに対して注意を払い、重要な変化を迅速に認識し、変化に適応することを重視することになります。
シェルでもシナリオ・プランナーとして活躍したアダム・カヘン氏によれば、シナリオ作成時には、「起こって欲しい」という願望に基づくものではなく、あくまで「起こりうる」客観的な未来を想定します。ただし、「起こりうる」という様々な可能性に目を向けることを、メンタルモデルは阻害します。赤の色眼鏡をかけた人には、赤の世界は目にうつらず、想定することも出来ないのです。つまり、起こりうるという複数の未来を想定する作業に向かうには、まずは無意識的に存在する自らのメンタルモデルに意識的になることが重要といえます。
以前は機能していた、直線的な分析、一つの予想に基づく戦略立案がますます困難になるなか、シナリオ・プランニングは、メンタル・モデルの変容を促すことで、ピンチをチャンスに変えることを実現しました。シェルで行ったシナリオ・プランニングの意義をまとめれば、下記のような点となります。
- 同等の確率で起こりうる複数シナリオを想定し、どの状況にも耐えうるようにすることで意思決定の質を向上させる
- メンタル・モデルを広げ、より包括的な未来を見通すことができる
- 今世界で起こっていることへの洞察力を高め、組織・現場の適応力を上げる
- 事業・プロジェクト案のシナリオによる検討を公式ルール化することによってマネジメント力を向上させる
シェルは、2012年のフォーチュン誌調べで、売上高ランキング世界1位、純利益ランキング世界4位を誇る世界有数の企業ですが、シェルを現在の地位に押し上げたのは、石油業界にとっての激動で、逆風ともいえる1970年代でした。そこには、「変化を迅速に認識し、変化に的確に適応すること」を可能にしたシナリオ・プランニングの活用がありました。
参考
ピーター・センゲ著『学習する組織』(英治出版)
アダム・カヘン著『手ごわい問題は、対話で解決する』(ヒューマンバリュー)
南アフリカでのシナリオ手法(シナリオ・プランニング)活用事例
(変容型シナリオ・プランニング)
アパルトヘイト政策時代の末期、南アフリカは、異なる意見を持つ多様な利害関係者が個々の違いを乗り越え、共に未来を描き、創っていくという困難な作業を成し遂げる必要に迫られていました。1990年、当時のデ・クラーク大統領が27年間にわたる牢獄生活からネルソン・マンデラ氏を釈放、反体制派グループの合法化を宣言したことで、南アフリカの状況は大きく変わりはじめていたのです。それはすなわち、少数派である白人与党と、多数派である黒人の反体制派が、血みどろの歴史を超えて、共に未来を創っていく入り口に立ったということです。
しかし、白人と黒人の数十年にわたる暴力的対立の歴史、黒人政党間や黒人と白人の間での見方の違い、そして白人政権から黒人政権への移行という誰も経験したことがないチャレンジであることから、平和的な政権移行は至難の業であると考えられていました。
その最中に実施されたのが、シェルの若手シナリオ・プランナーであったアダム・カヘン氏が関わった、南アフリカ再建のための「モン・フレール」・シナリオ・プロジェクトです。プロジェクトの参加者は、主要な黒人政党、白人ビジネス・コミュニティや大学関係者など南アフリカの縮図ともいえる22名でした。多様な関係者が異なる仮説や価値観、目標を持つ場合、全員が参加型のプロセスに沿って、自ら解決策を生み出し、実行していくことが大切ですが、プロジェクトは、まさにそれを体現していました。
シナリオ作成のプロセスは、小グループで今後10年間に南アフリカで起こりうるストーリーをブレーンストーミングすることから始まりました。このプロセスでは、「起こって欲しい」という願望を主観的に描くのではなく、あくまで「起こりうる」ということを客観的に出していきます。結果として生まれた30のストーリーは集約され、9つのストーリーへと絞られ後、社会、政治、経済、国際というテーマ毎にサブグループで討議され、最終的に4つのシナリオへと集約されていきました。
各シナリオは、「南アフリカの政権移行はどう進むのか、そして国は再出発することに成功するのか」ということについて、共通の質問を提起しながら、それぞれ異なる答えを出していました。そして、4つのシナリオのうち、3つのシナリオは避けるべき未来、そして残る1つが皆が望む、創り出したい未来を示すものとなりました。
南アフリカの政権移行を考える4つのシナリオ
1.ダチョウ
穴に頭を突っ込んで何も見ないようにするダチョウのように、国民の支持を得ていない白人政府が多数派である黒人との交渉を避け続ける
2.足の悪いアヒル
任期最後の年で政策遂行能力を欠いた大統領のことを足の悪いアヒル(レイム・ダック)と呼ぶように、憲法を制定する過程において、政府がすべての人の要望に応えようとするため、力が弱まってしまい、政権移行が長引き、結局誰も満足できない状態となる
3.イカロス
蠟でつくった翼で空高く舞い上がるが太陽に近づきすぎて蠟が溶けて墜落してしまうギリシア神話のイカロスのように、憲法の制定により自由を得た黒人政府が、国民から支持され、高貴な意図をもって政権に就くものの、維持ができない巨大な公共投資に乗り出し、経済を崩壊に導く
4.フラミンゴの飛行
みなで一緒に低く飛び立ち、やがて大空へと舞い上がるフラミンゴの群れのように、すべての重要な基本的要素が適切に配置されることで、社会の全員がゆっくりと、共に立ち上がり、政権移行が成功する
できあがったシナリオは、雑誌への折り込み、漫画やビデオ、マスメディアなどで紹介され、参加メンバーたちよる全国100以上のワークショップなどを通じて計画的に国民に周知されることによって、至る所で議論の対象となっていきました。例えば、デ・クラーク大統領はシナリオに触発される形で「私はダチョウではない」と発言を残しました。また、当初、マンデラ氏が率いる政党のリーダーたちは、南アフリカの経済状況について、「国は富んでおり、単純に資金を裕福な白人から貧しい黒人へ再分配することが必要」と考えていましたが、「イカロス」シナリオの存在が、彼らに自らの思考を変化させる機会を提供し、将来起こりうる経済的大惨事を回避する助けとなりました。紆余曲折を経ながらも、南アフリカはフラミンゴの飛行を実現させていったのです。
シナリオ作成のプロセスでは、意見の異なる多様な参加者が共に時間を過ごし、南アフリカがおかれた状況についての全体像や未来について対話を続けていきました。このプロセスを通じて、参加者は自らのメンタルモデルを真摯に見つめて、より良い未来像を探求していくことができました。
南アフリカでのシナリオの目的は、現在何が起こっていて、将来何が起こりうるかを理解するだけでなく、未来に影響を与え、改善するためのシナリオ作成でした。つまり、未来への「適応」ではなく、望ましい未来の「創造」に目を向けたシナリオ活用といえるでしょう。
南アフリカの事例は、多様なステークホルダーの中から、深い使命感に燃えたリーダーが集い、対話とシナリオ手法(シナリオ・プランニング)を通じて、現実と未来に深く向き合っていくことで、未来に大きな影響を与えうることを示してくれます。
参考
- アダム・カヘン著『社会変革のシナリオ・プランニング』(英治出版)
- アダム・カヘン著『手ごわい問題は、対話で解決する』(ヒューマンバリュー)