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アダム・カヘン氏講演 「合意できない人たちと未来を共創するには(後編)」
2018年11月1日(木)アダム・カヘン氏の新著「敵とのコラボレーションーー合意できない人、好きではない人、信頼できない人と協働する方法ーー」出版記念講演会の書き起こしの最終回です。
3つのストレッチとは?
ストレッチ・コラボレーションにおいて、3つのストレッチが必要だ。
1つ目のストレッチは、私たちの協力者との協力の仕方だ。従来型コラボレーションでよくある話は、「全体の利益を重視しよう」、「調和を重視しよう」と言うことだ。しかし、この発言の問題は、ひとつの「全体」というのは絶対に存在しないことだ。この場合、私たちが重視しなければならない「全体」が、本当に意味するのは"私"が大切に思う「全体」だ。
社会システムの全体的(ホロニック)な構成
いつでも多数の「全体」が存在している。あらゆる「全体」はそれより大きな「全体」の一部分だ。複雑で対立を孕む状況において、異なるプレイヤーが、何がどんな風に起きていると考えているか、何が問題でどうなるべきだと考えているかはコントロールできない。視点も利害関係もポジションも必然的に異なっている。ここでは、敵対と関与、対立と結びつき、力と愛がどちらも存在できるようにしなければならない。
この事例をお話ししよう。小田理一郎からも話があったが、1996年、私はコロンビアのサントス前大統領と仕事をする機会があった。ずっと以前からコロンビアの大統領だった彼は、「デスティネーション・コロンビア」と名付けた一連のワークショップを行った。ここに参加したのは、武力紛争に関係していたすべての政党、ゲリラグループ、民兵組織、大臣やNGOリーダーたち、トレードユニオンのメンバーなどだ。サントス大統領は、後に52年間に渡る内戦の平和協定を実現させて、2016年にノーベル賞を受賞した。
ノーベル平和賞が発表された日に、サントス大統領のウェブサイトは、この20年前のワークショプに、コロンビアの平和への道の中でもっとも重要な出来事の一つとして言及した。これを読んで、私はもちろん興奮したし、レオスのウェブサイトからもリンクを貼らせたが、本当のところは、なぜサントス大統領が20年も前の話に言及したのか分からなかった。その後20年の間に本当に数々のことが起こったというのに。国連の活動もあったし、防衛大臣はゲリラと5年間もの交渉を続けた。なのに、どうしてこのワークショップを持ち出し続けるのか?
昨年、私はこの仕事を通じて、ある会議でサントス大統領にインタビューする機会を得て、このことを聞いた。どうして20年前のワークショップの話をし続けるのか? 彼の答えはとても興味深かった。私の本のどんなサマリーよりも素晴らしい答えだった!残念ながら、そのときにはこの本はすでに出版されていたのだが。
サントス大統領は言った。「私が、デスティネーション・コロンビアから学んだことは、私がそれまで政治家として学んだこととまったく対照的に、決して同意できない、そして同意することがないであろう相手とも、コラボレーションすることができるということだった」。
これは非常に興味深いことだ。私たちが通常、自分と異なる相手と協働することを考えるとき、ほとんどの場合に考えるのはこうだ。まず、会って、ビールを一緒に飲み、話して、ただの誤解だったと気が付けば、私たちは合意することができるだろう、と。しかし、サントス大統領はその水準を引き上げた。永久に合意できない相手との協働が可能だと言ったんだ!
もうひとつ、インタビューで大統領に尋ねたことがある。「個人として、ゲリラとの協定を実現する中で、最も困難だったのは何か?」彼は答えた。「私自身にとって、もっとも困難だったのは、裏切り者と見なされていることだよ」と。大統領の言葉は事実だった。大統領を辞したときには、あの人は政治的にボロボロに破壊されてしまっていた。「敵とのコラボレーションを行えば、そのコラボレーションを進める人には必ずハッピーエンドが待っている」と言う話は、真実ではない。
第1のストレッチはこれだ。全体の利益と全体の調和を重視することから、結びつきだけではなく、対立をも受け容れることだ。結びつきと対立の両方を扱うということは、特に私のように、調和やコントロールを重視する人たちにとってはストレッチだ。私たちは、モノゴトの調和やコントロールを望む。しかし、通常そうではない。
第2のストレッチは、コラボレーションを前に進める方法だ。従来型コラボレーションでは、私たちは何をするかと言う点で合意しなければならないと言う。しかし、このような状況では、合意することはできない。何をしなければならないかは分かり得ない。複雑で対立を孕む状況で、取り組みがどのように展開するかをコントロールすることはできない。何がうまくいき、何がうまくいかないかは分からない。実験してみる以外に方法はない。
これに関して、面白いイメージがある。中国の国家転換を率いた鄧小平の有名な言葉だ。「我々は、川底の石を感じながら、川を渡る」。このイメージは「どこに向かっているか分かっている。計画もある。事前に立てた計画に沿って進む」というイメージとは対照的だ。つまり、第2のストレッチとは、問題、解決策や計画への合意に拘ることから、「前に進む道を感じ取る」と考えるようにシフトすることだ。だが、この「感じ取る」方へのシフトは、特に私のようにモノゴトが予測可能でコントロールされている状態であってほしいと望む人たちにとってはストレッチだ。そうあってほしいと望むかもしれない。しかし、通常はそうではない。
第3の最も根本的なストレッチは、私たち自身のコラボレーションのプロセスへの関与の仕方だ。従来型コラボレーションでは「状況を変えるためには、みんなが変わらなければならない」と真剣な顔でよく言う。しかし、ほぼすべての場合、ここで意味しているのは「他の人たち」が変わらなければならないということだ。私たちには、相手が誰であろうと何かをさせることはできない。複雑で対立を孕む状況で、他の人が何をするかをコントロールすることはできない。
本を書いていて面白い体験があった。この本を書き終える頃、私は気づけば毎日何時間も、他の人たちが何をするだろうかと考えていた。同僚たちやクライアント、子どもたち、トランプ氏がどんなことをすべきだかと考えていた。これはある意味心の落ち着く時間の使い方ではある。他の人がやるべきことばかり考えているのだから。そして気付いた。これはまったく時間の無駄だった。「はい」と言わせるのに、時間が掛かることも掛からないこともあるだろう。しかし、次の瞬間、その人が何をしているかなんて分からない。
ストレッチ・コラボレーションに関係するのは、自分自身のポジションの認知のシフトだ。状況の監督(ディレクター)や観察者(オブザーバー)の立場から、共同責任を負った、状況の中の人、状況の一部として共創している立場へのシフトだ。面白いスローガンがある。英語ではよく「もし解決策の一部でないなら、あなたは問題の一部である」という。しかし、もっと重要なことがある。もしあなたが問題の一部でなく、あなたの行動が、どんなふうに今起きていることの原因になっているかが分からなければ、論理的帰結として、あなたに解決策の一部となるためにできることは何もない。唯一の例外が、上からの強制だ。
第3の、もっとも根本的なストレッチは、他の人の行動を変えようとすることから、自分がゲームの一部であり、自ら進んで変わらなければならないと認知することへのシフトだ。この役目を引き受けること、共同責任を負った共創者となることは、特に私のように、権威を持ちコントロールする側でありたいと願う人たちにとってはストレッチだ。そうあってほしいと望むかもしれない。しかし、通常はそうではない。
ストレッチは困難だが、必要だ。そしてそれは可能である
結論に移る。私たちの時代は、ますます本当に厳しい問題に直面している。文化も政治も経済も気候も安定しない。これらは恐ろしいことだが、同時に希望を与えてくれる。私たちには、違いを生み出すチャンスがあるからだ。そして、チャンスがあると思いたい。
ここに必要なのは、従来型と根本的に、そして過激に違う方法でのコラボレーションだ。ここでは、これまでのコラボレーションにおける、合意、調和、正確さ、権威やコントロールといったファンタジー、つまり幻想を捨て去らなければならない。より曖昧であり、厳密でない、現実的なコラボレーションへのストレッチが必要だ。そうする中で、私たちが敵だと考える相手が、私たち自身のこだわりに気づかせてくれ、それを緩和する助けになってくれる。私たちの敵は、私たちの師となり得るのだ。
私は経験から学んだ。ストレッチは困難だが、必要だ。そして、それは可能である、と。私たちの時代の手ごわい問題を解決するための一助となれるよう、私はストレッチすることにコミットしている。みなさまのご参加を歓迎する。何も心配は要らない。
(以上で講演は終了です)
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アダム・カヘン氏は、南アフリカでの白人政権や黒人政権へのスムースな移行、さまざまな派閥間で暴力的抗争や政治腐敗の続いたコロンビアの近年の復活、互いに敵対しがちなセクター横断でのサプライチェーン規模の取り組みなど、対立や葛藤状態にある複雑な課題を、対話ファシリテーションという平和的なアプローチで取り組み、成果を残してきました。
世界50カ国以上で企業の役員、政治家、軍人、ゲリラ、市民リーダー、コミュニティ活動家、国連職員など多岐に渡る人々と対話をかさねてきた、世界的ファシリテーターが直面した従来型の対話の限界。彼が試行錯誤のすえに編み出した新しいコラボレーションとは?
職場から、社会変革、家庭まで、意見の合わない人と協働して成し遂げなくてはならないことのある、すべての人へ。相手と「合意」はできなくても、異なる正義を抱えたままでも、共に前に進む方法を記した新著です。