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「システムアウェアネス」と学習する組織は相性がよく互いに、補完関係にある手法とも言えます。リーダーシップ開発や組織開発の分野では、心や身体からのアウェアネスを高めるアプローチへの注目が高まっています。そうしたアプローチの一つとして、深層心理学をベースに発展したプロセスワークを活用し、組織や社会などの集団、関係性、個人の間の相似性を見出す手法「システムアウェアネス」実践者の横山十祉子さんから話を伺いました。今回は、小田が質問しながら、対談形式で対話させていただきました。今回より数回にわけてご紹介します。
小田:システムアウェアネスとは端的に、どのようなものでしょうか?
横山:ネーミングの通り、シンプルに言うと、システム(全体)に対してアウェアネスを持とう!ということです。プロセスワークが一番のベースとなっている他、組織や地域で、組織開発、人材開発の場面で使えるいろいろな手法を取り入れたもので、アプローチとしては、学習する組織やシステム思考に心理学がはいったらどうだろう?と考えました。
また、プロセスワークが持っているおもしろさに「身体性」があります。実際にその場で身体をつかって体験してみることで、頭で考えるだけでなく、体感的にシステムの全体について見て気づけるようになっていく手法というイメージです。
小田:システム思考では、システムとは、「2つ以上の要素が繋がっていて相互作用をおこしている集合体のこと」を指していて、例えば、個人、職場、近所、社会、市場はみなシステムといえます。このようにシステムは様々ですが、システム思考では、特に、人間が関わる生命システムを対象にしているのですが、システムアウェアネスではいかがでしょうか?
横山:同じだと思います、主に人ですが、人と自然などはより密接に連動する感じですね。
小田:そのシステムに対するアウェアネスを人や組織が持っているということですか?
横山:人が持っていて、集団の中でも共有認識を持つことで、集団がアウェアネスを持っていくイメージです。
小田:今「認識」という言葉が出ましたが、心理学ではアウェアネスという言葉をどんな概念でとらえているでしょうか。
横山:日本語にするといろいろな言い方があると思います。意識にのぼってくることという意味で、アウェアネスをつかっていると思います。意識化されたものについては、全部例えば、「気づいています」、「知っています」、「わかっています」という言葉であらわせるものはアウェアネスであると思っています。
小田:学習する組織の定義は、ピーター・センゲらによれば「集団としての、アウェアネス(意識)とケーパビリティ(能力)を継続して伸ばしつづける組織」です。学習において、ケーパビリティ(能力)の前に、まず知らないことがあるということを知らないと学習が起こらないことから、無知であることを知るアウェアネス(意識)を伸ばすことが学習の第一歩と考えています。どのようにお考えでしょうか?
横山:私もソクラテスは大好きですが、無知の知はベースだと思います。言葉でケーパビリティの定義について言及することはあまりありませんが、「全部知っています」と言った瞬間にシステムが閉じてしまいますよね。体験的に自分自身を知った上で、視野が「ここまでしかない」から「ここまであったんだ」とアウェアネスが有機的に広がっていくと、ケーパビリティもダイナミックに広がる感じがしています。
小田:あらゆるケーパビリティのベースとしてアウェアネスが出発点になっていて、それがせまいままケーパビリティをやっても限界があるということですね。さて、さきほどシステムアウェアネスを組織・地域で活かそうとされているとおっしゃっていましたが、プロセスワークという専門を持ちながらシステムに特化しているシステムアウェアネスを提唱されている時代背景や、横山さん個人としての文脈があればうかがえますか?
横山:個人的なところでは、プロセスワークが日本で広まったらいいのではと思い持ち帰って実践していったのですが、私自身いくつかの組織(での仕事)を経験して自分では違和感を持ちながらも変えられなかったこともあり、組織に対する絶望みたいなものを感じたこともあるなかで、組織に対するアプローチへの興味はありました。また、組織と向き合う仕事に関わる中で、いわゆるカウンセリングのような形で関わっていくだけでは足りないのかもしれないと感じ始めました。最初は個人から入りますが、個人が組織の中でどんな風にやっていくのかということが見えないと、本当に目の前の人がその集団の中で自分を生き生きと、どういかすのかわからないという感覚があり、そこから組織や集団などのシステムを扱えたらということが一つです。それだけではなくて心理や気持ちを扱っている時に、体験の根っこ、経験の根っこみたいなところは身体の中にあることがあって、その身体からのメッセージに気がつくことは自己一致をする瞬間だと思っています。例えば病気のようなものだったり、自分の身体が何かを感じたり、言葉にならないもやもやすることについて気づいて紐解いていくこと、私の場合は理屈ではないけれど、体験的に身体からのメッセージに気がついていくことが大事だと思っています。
最近では、世の中的にも、社会でも身体感覚の大切さが注目されはじめていて日々、確信していることもあります。
小田:今の話のなかで、システムアウェアネスがどういうものなのか?ということをお話いただきました。その人の置かれている職場や家族関係などの環境を見ていかないと、問題や悩みを持っている人と効果的に関わることができないという全人的アプローチはシステム思考でも、よく言われていることです。システム思考でも全体を考える、全体的に見るということを言いますが、その時に今の話の特徴的なところは、身体がそれを知っているあるいは身体の声をきくことでアウェアネスを広げて、そこにつながるチャンネルになっているということでしょうか?
横山:そうですね、思考の知恵や論理はとても大切ですが、自分がそれを本当にしたいのかどうかという感覚とは違っていることもあります。身体が喜ぶこととあまりにかけはなれていると空回りしてしまうということだと思います。思考だけでうまくいっていた時代もあったけれど、複雑性や分断が進む現代では、それだけでは限界がきているような気がしています。
小田:昔から「心と頭と身体(手)を使う」と言われてきましたが、近年脳科学などで研究されているように、脳だけが考えているということだけではなく、身体も実は考えている、身体も知識を持っている、心ももちろん感じていて、感覚器としてアウェアネスをもつ機能があることがわかってきたということだと考えています。しかし、私たち現代人は、頭と身体が分離することが多いのではないでしょうか。例えば、政策、戦略をたてるときに頭ばかり使って、身体の潜在性を活用していないというのが大きいですね。
横山:昔、混沌とした時代にデカルト達が、論理的思考を形にし、そこではその意味がとても大きかったし今でも大きいですが、そろそろ次のフェイズにいくという感覚があります。そぎ落とした知恵と思考方法を、心、身体、精神性の知恵をもう1回再統合するところにいるのでしょうね。
小田:その前提として、分断分離が進んでいるということですね。
横山:行きすぎてとまらなくなっているという感覚ですね。
小田:世界的に見るとピーター・センゲがオットー・シャーマーとU理論をつくり、U理論の実践に身体を使った専門家でダンサーのアラワナハヤシが入ったセッションを行っていて、最近は「Systems Thinking」と「Systems Sensing」という概念を並べて出しています。複雑性や全体像を知るために、身体からの気づきをえる一種のセンサーがあることが今すごく重要だと思います。