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システム思考:複雑な世界を理解する手段(1)(リンダ・ブース・スウィーニー)

2024年04月12日

システム思考とは何でしょうか? 最初の大きな一歩は、システム思考が何でないかを理解することです。システム思考は分析ではありません。多くの人がそうであるように、何かを理解する最善の方法はその対象を分析すること、つまり一口サイズの扱いやすい断片に分解することと教えてくれる先生に出会ったことがどこかでないでしょうか。例えば、文章を書くには、序論、目的、本文(もちろん、裏付けとなる事実を含む!)、結論という構成要素に分解するように教わりませんでしたか。

大道芸の習得から大学受験、ダイエットの最良の方法の発見まで、多くの人がこの方法で多くの課題に取り組んでいます。例えば、CDのコレクションを整理したいときや、時計の仕組みを理解したいときです(まさに分解しますね!)。また、何かの基本的な要素を理解したい場合にも役立ちます。例えば、水が実際には水素原子と酸素原子からできていることを理解するような場合です。

問題となるのは、私たちが無心に分析を行い、「私たちが研究している間世界は止まっている」「不可解な状況も私たちがそれを構成する断片に分解している間は止まっている」「断片間の関係は重要ではない」と思い込んでしまうときです。育ち盛りの子どもを朝玄関に送り出そうとしたことのある人なら誰でも知っているように、問題は止まってなどいないし、相互関係は重要なのです! したがって、分析によって得られるのは現実のごく限られた理解に過ぎず、人生における大きな課題に対処するために必要なスキルはけして分析だけではないのです。

対照的に、システム思考は私たちの理解を広げるのに役立ちます。システム思考は私たちに次のようなことを教えてくれるのです。

  • 私たちを取り巻く世界を、ひとつの出来事や人生の "スナップショット "として見るのではなく、全体として見る
  • システムを構成する各部分を、無関係な断片の集合体として見るのではなく、どのように連動しているかを見て、感じ取る
  • システム内の要素間の関係が、私たちが反応する行動や出来事のパターンにどのように影響するかを見る
  • 命は静的なものではなく、常に動き、変化していくものだと理解する
  • ある出来事が別の出来事にどのような影響を与えるかを理解する。たとえ2つ目の出来事が、最初の出来事から長い時間を経て、「遠く離れた」場所で起こったとしても。
  • 私たちの周囲で何が起こっているかは、私たちがシステムのどこにいるかによって決まる
  • 世界がどのように機能するかについての自分自身の思い込み(メンタル・モデル)に挑戦し、それがいかに私たちを制限しているかを自覚する
  • 自分や他人の行動が長期的、短期的に与える影響について考える
  • 物事が計画通りに進まなかったときに、探求的な質問をする

分析的な思考を放棄することはできないでしょう。結局のところ、ある種の仕事や単純な問題に対処する際には、分析的な思考は本当に重要なのです。しかし、分析的な思考をシステム思考で補完する方法を知っていれば、人生にアプローチするための、より強力なツールセットを手に入れることができるのです。

子供によるシステム思考への初期段階

子どもたちは、実は自然なシステム思考家です。人生の早い段階から、システムがどのように機能するかを認識し始めるのです。生後5ヶ月くらいになると、赤ちゃんは親とゲームを始めます。わざと泣くことを覚え、溺愛する両親が急いで迎えに来るのを待ちます。両親が迎えに来なければ、赤ちゃんはまた泣きます。このような経験は、子どもたちに一方通行の因果関係についての基本的な理解を築きます。「私が泣けば、両親が迎えに来てくれる」と。

子どもが10代に成長するにつれ、因果関係についての理解を家族や地域社会にも広げていきます。「夜更かしをすると両親が怒るから、次の週末は夜更かしができなくなるかもしれない」。こうして彼女は、家族、スポーツチーム、近所付き合いなどを通じて、相互の因果関係を学び、自分と他者との相互依存の本質を経験するようになるのです。

大人になるにつれて、若い女性は、新しい、より速い、加速する変化の世界に気づきます。テクノロジーと縮小するグローバル社会での境界が衝突し、ますます相互に接続された風景を作り出しています。このような環境では、あらゆるものがあらゆる場所に存在し、あらゆるものとつながっているように見受けるし、実際につながっているのです。

大人である私たちは皆、身の回りで起こる現象を理解しようと努力することで、この環境の中で生きながらえています。そして、私たちに説明できることを以て、将来起こりうることを予測します。しかし、私たちの説明には、原因や結果についての誤解や、世界の仕組みについての不完全で単純すぎる仮定が含まれていることが多くあります。このような場合、私たちは何度も何度も同じような問題と格闘することになります。私たちは根本的な問題に対処できると考える行動を起こしますが、多くの場合、根本的な問題に対処できずに、むしろ元の問題を悪化させてしまうのです。どうすればこの問題解決のトレッドミルから抜け出せるのでしょうか?

そこで役立つのがシステム思考です。

そもそもシステムとは何か?

私たち大人の多くは、システム思考に関する正式な訓練を受けていません。その上で、若者たちが複雑なシステムについて学ぶのを助けるにはどうしたらいいのでしょうか? ひとつの簡単なステップは、システムの基本的な特徴を理解することです。

  • Q:多数の集まりか、システムか?
  • Q:全体は部分の総和よりも大きいか?
  • Q:目的は何か?
  • Q: 原因と結果はループになっているか?
  • Q:デジャヴを体験していないか?

多数の集まりか、システムか?

システムは2つ以上の部分から構成されますが、ミックスナッツのボウルのような「多数の集まり」も同様です。では、自分が持っているものが単なる何か「多数の集まり」なのか、それとも「システム」なのか、どうやって見分ければいいのでしょうか? 基本的な見分け方を紹介しよう。

多数の集まりの場合、部分を取り除いたり加えたりしても何も変わりません。例えば、ナッツの入ったボウルがあるとしましょう。カシューナッツを全部取り除いたり、ヘーゼルナッツを加えたりしたらどうなるでしょうか? 答えは「ただのナッツのボウル」のままです。

システムの場合、部分を取り除いたり追加したりすれば、状況は間違いなく変わります。例えば車からバッテリーを取り外したとします。その車は動きません! 自動車は機械的システムの一例です。生きているシステム(家族、教室、近所付き合い、国家のような人間のシステムも含む)は、はるかに複雑です。これらのシステムから部分を取り除いたり追加したりすると、非常に複雑な変化が生じます。(もしあなたの町の警察やゴミ処理部門が、ある日突然完全に姿を消してしまったら、どんな生活になるか想像してみてください。)

子供も大人も、この簡単な問いの訓練で、多数の集まりとシステムの区別を学ぶことができます。「部分を取り除いたり追加したりしたら、何か重要なことが変わるだろうか?」あるいは、「部分が単独で動作できるだろうか」。つまり古いことわざにあるように、「牛を半分に切っても2頭にはならない」のです。例えば、ボウルから果物を取り出したとき、それは引き続き果物として機能します。しかし、手を体から切り離すと、その手はもはや以前と同じようには動かなくなります。それは、「身体」システムのあらゆる部分が、そのシステムから切り離されたときに失う特定の能力を持っているからです。これらの能力を機能させるのは、システムの部分間の相互作用なのです(このために、システムを全体として理解しようとするとき、分析がうまくいかないのです)。

全体は部分の総和よりも大きいか?

すべての生命システムは、緊密に結びついた膨大な数の相互作用から成り立っています。こうした複雑な相互関係は、私たちの日常生活でどのように作用しているのでしょうか? 誰もが、「全体は部分の総和よりも大きい」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。システム思考では、これはシステム内の部分間の多くの相互作用が、単にそれらの部分を足し合わせるだけでは測定できない性質や特性を生み出すことを意味します。例えば、カリフォルニアの海岸線で漁師がスズキを乱獲した結果、スズキを捕食するクジラの一種であるシャチが、何世紀にもわたってラッコと平和に共存していたにもかかわらず、代わりにラッコを捕食するようになりました。これは、部分(生態系内の動物)間の相互作用が影響を受けると、全体(生態系)がどのように影響を受けるかを示す一例に過ぎません。

別の例として、性能が今ひとつの車からバッテリーを取り外すだけでなく、車を完全に分解したとしましょう。すべてのパーツの重さを量り、その数値を合計すれば、正しく組み立てられたときの車全体の重さがわかるでしょう。しかし、車のスピードやでこぼこ道での乗り心地はわかりません。スピードと乗り心地は、クルマの部分の相互作用によって生み出されるものであり、したがって、クルマのすべての個々の部分の「合計よりも大きい」ものなのです。スピードは、「創発的特性」と呼ばれるものの一例です。つまり、ある部分の集合の中での相互作用からのみ生じる特性や挙動なのです。

オーケストラで演奏したり、劇団で演技をしたり、スポーツチームに所属している子どもたちは、常に創発的な性質について学んでいます。彼らは、オールスターチームが必ずしもリーグ最高のチームではないことを知っています。なぜでしょうか? チームの一人一人は卓越したバッティングや投球技術を持っているかもしれませんが、そうした選手たちを集めたとて必ずしも最高のチームになるとは限りません。

チームを偉大にするものは何でしょうか? それは選手間の相互作用の質であり、そして多くの練習、お互いを知るために費やされた時間、そして古き良き経験からしか生まれてこないものなのです。

システム思考家は、創発的特性に健全な敬意を注ぎます。その理解に務め、そこに介入し(たとえば、長い車での移動中に子どもたちが不安になり始めたときなど)、時にはチームスピリットのように、それを育むことに注力するのです。

目的は何か?

ほとんどのシステムには、それが組み込まれている大きなシステムとの関係において、明確な特徴、つまり目的を有しています。多くの社会システムでは、時に目的が対立するサブシステムが見られます。例えば、子供の学校の教師たちは、時に指導層や管理部門と対立することがあるかもしれません。

学校の徒党であれ、教育委員会の委員会であれ、組織の部署であれ、私たちがしばしば忘れがちなシンプルな問いがあります。「何がこのシステムの目的か?」。システムの中にある様々な、時として相反する目的を理解することで、そのシステムがなぜそのように機能しているのか、そしてどうすればよりよく機能させることができるかについての、洞察を得ることができます。(例えば、教師と学校管理者が定期的にミーティングを行うことで、対立を解消できるかもしれません)。

原因と影響はループになっているか?

原因と結果、つまり因果関係には、いくつかの「形」があると考えることができます。ハエを飲み込んだ老婦人の話のように直線的な形もあります。

子供であれ大人であれ、多くの人たちは、物事は線形に起こるものだと想定しています。ドミノ倒しのように、あることが次のことを引き起こす。ドミノの場合、これこそが因果関係の性質です。

システム思考家は、因果関係のもうひとつの概念である「フィードバック・ループ」を認識します。これを考える最も簡単な方法は、ある事象が別の事象を引き起こし、その2つ目の事象が再び巡ってきて最初の原因に影響を与えると想像することです。例えば、こんな感じです。子供がたくさん生まれれば生まれるほど、人口は増える。そして人口が増えれば増えるほど、親になりうる人の数も増える。そして親の数が増えれば、出産数も増える、、、(比較的安定した環境を前提として)。

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この考え方は決して新しいものではありません。多くの先住民文化は、循環する因果関係という観点から世界を見ています。オグララ・スーの聖人、ブラック・エルクは有名な演説の中でこう語っています。

「インディアンのすることはすべて円形である。それは世界の力が常に円形で働き、すべてが円形であろうとするからである。」

日常生活において、このような循環ループはどのように見られるのでしょうか? 例を挙げましょう。私の小さな息子ジャックはグリーンピースが好きです(母親は大喜び!)。息子が1歳くらいの頃、彼はグリーンピースを少し食べると、面白おかしく思ったのか、床にグリーンピースを投げました。そして、「やったー!」と言うのです。母親初心者だった私は、その一部始終が可笑しくて笑ってしまいました。そして、彼は何をしたと思いますか? 彼はさらに豆を食べ、さらに豆を投げ、さらに嬉しそうに、そして誇らしげに「やったー!」と言いました。もちろん、私はさらに笑い、そして彼はさらに豆を投げました!

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これは、システム思考家が自己強化型フィードバック・ループと呼ぶものの単純な例です(他の例としては、生徒の成績に対する教師の期待、人口の増加、預金口座の複利の積み立てなどがあります)。自己強化型ループは劇的な成長や崩壊を引き起こします(1930年代のアメリカの株式市場の暴落のように)。このようなループは劇的であるため、通常は簡単に発見できます。「状況は完全に制御不能だ」とか「事態は雪だるま式に進行している」といった言葉を耳にしたら、自己強化型ループが働いている可能性があるのです。

状況によって、自己強化型ループは悪循環(増幅して何かをより大きくする)にも、好循環(逆方向に増幅して何かをより小さくするなど)にもなりえます。

しかし、古いシステム格言にあるように、「永遠に成長するものなどない」のです。幸運なことに、物事全般をコントロールするのに役立つ別の種類のフィードバック・ループがあります。(そうでなければ、ジャックはますます多くの豆を無限に投げ込み、私はますます笑い続けることになります。)システム思考家は、この別の種類のループをバランス型フィードバック・ループと呼びます。バランス型ループは、劇的な成長や崩壊に制限をかけ、システムがその目的を果たせるようにします。

例えば、ジャックが豆を投げる場合、ジャックは最終的に豆を使い果たして投げられなくなるという事実からバランスを取っていました。私もまた、バランスをとるアクションをとりました。私はすぐに笑いを止めることを覚え、床に豆を投げるのではなく、ボウルに豆をいくつ積み上げられるかを促すことで、「ゲーム」のゴールを変えたのです。

もうひとつのシンプルな例は、体温を摂氏37度に保つことを目的とした体温調節システムです。運動すると体は熱くなります。体温を華氏98.6度に近づけるために、汗腺から汗が分泌されます。汗をかいた皮膚上を空気が移動することで冷却効果が生まれ、体温のバランスを取り戻すことができます。また、体が冷えれば筋肉が震えだし、震える筋肉の摩擦が体を98.6度まで温めます。バランス型ループは自己強化型ループほど目立たちませんが、世の中にはたくさん存在します。バランス型ループは物事を安定させる傾向があるため、何かを変えようとしても結果が出ないとき(例えば、体重を減らそうとしたとき!)、私たちはバランス型ループを見いだすことができます。

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デジャヴを体験していないか?

システムに関してもうひとつ興味深いことは、非常に異なる種類の環境にあってもシステムは同じような振る舞いをする傾向があるということです。例えば、おなじみの子どもの遊び場での喧嘩の問題を思い起こしましょう。あるいじめっ子が別のいじめっ子を侮辱し、そのいじめっ子がさらに攻撃的な言い返しをします。気がつくと、どちらかがパンチを放ち、大乱闘になっています。ビジネスの世界で競争している企業を考えてみましょう。ある企業は価格を引き下げることで、より多くの顧客を集めます。その主要な競争企業は、取り残されることを懸念してさらに価格を下げ、最初の会社はさらに低価格を提供しようとします。この2つの状況は表面的にはまったく異なって見えますが、どちらも緊張や競争力の高まり、つまりエスカレートを伴っています。

システム思考家たちは、このようなよくある「ストーリー」を「システム原型」と呼んでいます。例えば、「うまくいかない解決策」と呼ばれる原型では、ある問題を解決しようと何らかのアクションをとるが、結局問題は悪化するばかりとなります(疲れているときにコーヒーを飲んで元気を出すが、就寝時間になると落ち着きがなくなって眠れなくなり、時間が経つにつれてさらに疲れが増すなどです)。

もうひとつのシステム原型「成功への限界」では、何かとても素晴らしいことが起こったと思ったら、それが横ばいになってしまいます。たとえば、年に一度の町のお祭りを手伝ってくれるよう、近所の人たちをどんどん説得して仲間を増やして後、突然その手伝いが減ってしまうような場合です。自己強化型ループ(タウンフェアを成功させるための努力)は、均バランス型ループ(町の人々が提供できる時間、エネルギー、資源の限界)にもつながっています。もしあなたが、「空回りしている」という感覚を持っているなら、このシステム原型を経験しているのかもしれません。

このような昔ながらの教訓話の素晴らしいところは、様々な状況で起こる共通の問題を認識し、よりうまく対処できるようになることです。そして、それらはまた、いくつかのお気に入りの物語に現れる傾向があるのです!

(つづきはこちらから)

(リンダ・ブース・スウィーニー執筆、小田理一郎翻訳)

原典:When a Butterfly SneezesA Guide for Helping Kids Explore Interconnections in Our World Through Favorite Stories (Pegasus Communications, 2001)から抜粋. 著作権 ©2001 by Linda Booth Sweeney. 著者の許可を得て翻訳掲載


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