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MITジョン・スターマン氏来日
2024年1月22日の週にMITスローンビジネススクールのジョン・スターマン教授が来日しました。財界、政界、官公庁のリーダーのべ700人向けに18回にわたって、気候・エネルギー政策に関するワークショップを実施するためです。全行程を終えたスターマン氏と会食しながら振り返る機会を得ましたが、とても活発な議論がなされた様子がうかがえました。日本での再エネ、省エネ、カーボンプライシング、化石燃料からのトランジションなどにおいて積極的な政策がとられることを期待しています。
このワークショップの中で中心的な役割を担ったのが、政策シミュレーター「En-ROADS(エンローズ)」です。これまでもEn-ROADS日本語版の紹介をしてきましたが、本記事ではシステム的洞察について補足をしていきます。
En-ROADS日本語版
En-ROADSは、旧サステナビリティ研究所からスピンオフしたNGO「Climate Interactive」とMITの協働によって開発された政策シミュレーターです。エネルギー及び気候変動政策の実施・強度を調整することで、温室効果ガスの排出量や大気濃度、気温上昇、海面上昇、経済などにどのような影響が出るかをシミュレーションできます。
例えば、職場や学校、市民の集まる場で、次のような問いを探求するために活用できるでしょう。
- 自社・業界が推進する施策が世界規模で展開された場合、どれくらいのインパクトを生み出すか?
- 世界のエネルギーミックス、カーボンプライシング、森林政策、炭素除去の技術開発などそれぞれの政策及び組み合わせのインパクトはどれくらいか?
- 気温上昇をパリ協定で合意した2度あるいは5度目標以内に抑えるにはどのような政策の組み合わせが有効か?
- 人口、経済活動、エネルギー政策、炭素サイクル、気候システム、地形などさまざまなシステムの間でどのような相互作用があるか?
En-ROADSの使い方はこちらをご覧ください。
En-ROADSのシミュレーションから得られる洞察
En-ROADSでは、私たちの暮らしや経済と気候・エネルギー関連システムに関わるさまざまなフィードバックや時間遅れについて、最新の科学的知見に基づいてモデル化をしています。多くの要素間で起こる短中長期のさまざまな相互作用を頭の中(メンタル・モデル)でイメージしようとしても想像できるものではありません。「効果的と考える施策が思ったほどの規模やスピードでは効果を出ない」「夢のような施策だが実施のためには土地面積や物流など大きな制約を乗り越える必要がある」あるいは「複数の施策間でのトレードオフによる効果が相殺される」など、気候科学やエネルギー経済学などの知見を織り込んだシステムモデルに基づくさまざまな洞察が導かれます。
これまで何万回と行われているワークショップで、参加者への気づきとなる主な10の洞察は以下の通りです。
1.資本ストック回転率 - インフラの変化には時間がかかる
エネルギーの利用に関する効率改善や再エネ・電化などへの転換の多くの部分は、発電施設、設備、機器などの資本ストックの入替によって起こります。これらの資本ストックは、ひとたび導入すると数年~数十年使われるために、その全てが入れ替わるのに平均耐用年数程度の時間を要するために、CO2削減を狙ったインフラの変化の効果が全体に及ぶまでに一般の想像以上の期間を要します。
(「システム思考でエネルギー・気候政策を考える(2)時間遅れと資本ストック回転」参照)
2.規模の経済と学習 - 成功技術は経験・学習効果によってさらなる成功を築く
普及に成功する技術は、経験・学習効果によってコストを下げることでさらなる成長を導きます。太陽光発電、風力発電の新規設備導入ではその限界コストを下げ、石炭火力発電のコストを下回ることでさらなる普及が見込めます。こうした普及に成功した技術の加速的な導入は、一般の想像を上回ることがあります。
(「システム思考でエネルギー・気候政策を考える(3)エネルギー利用におけるフィードバック<経験効果>」参照)
3.リバウンド効果 - 価格、需要、供給は連動している
省エネはエネルギー需要を下げる効果がある一方で、節減した資金をもって追加の資本ストックを購入するとその効果は相殺されてしまいます。これを「リバウンド効果」と呼びます。補助金などをもってエネルギーコストを下げることは、エネルギー需要を高めます。価格、需要、供給は密接なフィードバックの連動があるため施策による効果は非線形な形で現れるのに対し、私たちの一般的な想像は線形に過大評価することがしばしばです。
(「システム思考でエネルギー・気候政策を考える(4)施策への抵抗」参照)
4.成長の原動力 - 人口とGDPの成長が排出量を押し上げる
人は生活の中でエネルギーを必要とし、経済もまた多くの面でエネルギーに依存します。どれほど省エネや温室効果ガスの排出の少ない技術への移行を進めても、人口やGDPがそれを上回って成長し続けるとパリ協定の実現はかないません。なりゆきのシナリオでは、2000年から2100年までに人口は1.7倍、一人当たりGDPは4.6倍、掛け合わせるとGDP は7.8倍に成長し、エネルギー需要への圧力をかけ続けます。世界では教育や家族計画などによる人口抑制や、特に生活水準が高くなった国における経済モデルの移行など、「永遠に成長を続ける」ことを前提としない社会や経済の在り方を希求する考えや施策が広がっています。
5.成長の限界 - 石油とガスは価格が高くなり、石炭はさほど高くならない
再生不可能な化石燃料の量は有限であり、発見ペース以上に消費していくことで確認された残存量は減り続けます。それによって発見への投資が進む可能性はありますが、太古のバイオマスが化石となった資源の産業革命初期の値は決まっていて、En―ROADSでは科学的知見に基づく推定値を定め、前提諸元で確認、調整できます。残存量が減ってくる局面での問題は、コスト及び価格の上昇であり、21世紀中に関して言えば、石油がその影響がもっとも大きくついで天然ガスです。石炭への価格への影響はそれほどないと考えられます。
6.クラウディングアウト - 低炭素供給同士が長期的な市場占有率を競う
低炭素のエネルギー供給源として、太陽光、風力などの再生エネ、原子力、あるいは将来開発されるかもしれないの核融合などがあります。しかし、エネルギー経済の実態の観察では、これらの追加的な供給源は当初はコストも高く、化石燃料を抑えるよりも先に、低炭素の供給源同士のシェアの食い合いをする傾向が見られています。例えば、原子力や「新ゼロ」エネルギー奨励施策を進めると、化石燃料のシェアを少し下げるだけで再エネのシェアを大幅に下げてしまいます。これを「クラウディングアウト効果」と呼んでいます。
▼なりゆきから再エネ(緑)のコスト低下でシェアを伸ばす
▼新ゼロ導入でオレンジが増えるが再エネが大幅に削られている
7.風船握り効果 - 一部化石燃料の供給制限には相殺的なフィードバックがある
一方で、エネルギー消費当たりの温室効果ガス排出量の多い石炭に重い税をかけたり、発電所などの閉鎖を加速させたとしても、その減少分が再エネなどの低炭素エネルギーへ移行するとは限りません。施策導入からしばらくの間はむしろ天然ガスを増加させます。大きな風船を手のひらで握って縮めようとすると、圧力で指と指の隙間から風船が漏れ出てくる様子をイメージいただけるでしょうか。化石燃料の一部だけの施策を行っても、別の化石燃料へとシフトする相殺的なフィードバックがあり、これを「風船握り効果(バルーン効果)」と呼びます。(社会システム一般に「置換効果」に相当します。)
▼なりゆきから再エネ(緑)のコスト低下でシェアを伸ばす
▼石炭への重い課税で量を絞っても、化石燃料全体の低下はわずかで多くは別の化石燃料へ移行している
8.勝者がすべてを手にすることはない - 化石燃料のエネルギーはより高価でも存続する
化石燃料の利用を抑制し、低炭素エネルギーの利用を促進する政策を進めれば、低炭素エネルギーのコストを低下させると共に、税などの効果に加えて化石燃料の需要が減少して供給過多になることから化石燃料は高価なものになってますます低炭素への移行を加速することでしょう。しかし、エネルギーは発電以外でも産業、民生でさまざまな用途があり、また、そのための施設、機器、利用者の要求事項もさまざまです。そのすべてが代替エネルギーに置き換わるには相当の期間を必要とします。2100年までのシミュレーションの時間軸において、低炭素による勝者がすべてを手にすることはなく、たとえ高価になっても化石燃料が残ることが予測されます。
これらのようなエネルギーに関わる経済の現実的な挙動を踏まえて、全体を俯瞰した視野から政策の組み合わせを探求することが必要になります。
9.その他の温室効果ガスが重要 - CO2以外のガス排出量の削減が威力を発揮する
エネルギー起源のCO2に関する施策の間にはさまざまな相互作用があり、単独の施策では十分な成果が得られない一方で、複数の組み合わせの施策の間には重複やトレードオフ、相殺効果が存在します。一方で、メタン、亜酸化窒素、フッ素系ガスなどその他の温室効果ガスは、エネルギー起源CO2とは独立して取り組める施策も多く、追加施策としてのインパクトが期待できます。
10.バスタブ ダイナミクス - CO2濃度と温度をゆっくり調整する
設備や機器などの資本ストック同様に、大気中のCO2もまた、それ自体が大きなバスタブ(浴槽)であり、年々排出されるインフロー、海洋、陸地、生物に吸収されるアウトフローの正味フローの長い蓄積によって調整されていきます。未だ、大気中CO2へのインフローが増え続けていますが、その増加を止めるだけではCO2濃度は増え続けます。「インフロー>アウトフロー」となっているからです。CO2濃度の上昇を止めて安定させるには、「インフロー≦アウトフロー」の状態まで下げる必要があり、これがネットゼロの目標となります。さらに、温室効果ガスによる入射エネルギーと出射エネルギーが均衡するのにも期間が必要です。パリ協定のゴールの達成のためには、こうした世代をまたぐようなバスタブのダイナミクスを踏まえ、ネットゼロに向けた迅速な行動が求められています。
以上が、En-ROADSを通じて発見、体感できる気候システム及びエネルギーシステムに関する主な洞察です。皆さんもぜひEn-ROADSに触れて試して、その挙動を体感してみてください。
なお、パリ協定などに向けた気候政策を考える上では、En-ROADSでは簡略化されていたり、省かれているさまざまな要因があります。例えば、気候変動に影響を与える人たちと気候変動の影響を受ける人たちの間のアンバランスに関する衡平性や資金・努力の負担、多様な利害関係者のエンゲージメント、施策に伴う雇用、健康・医療、コミュニティなどでのメリットとデメリットなどです。また、人間の社会経済だけではなく、その基盤となる生物多様性の損失も考慮される必要があるでしょう。
En-ROADSを使ったワークショップやセッションでは、これらの視点も補完しながら進めることが推奨されます。こうした点を含めて、Climate Interactiveでは無料のファシリテーター養成プログラム(英語)を提供し、これまで世界79カ国から22万人以上が参加しました。また、ファシリテーションを行うことができるアンバサダー751人が登録されています。
私たちチェンジ・エージェント社でもご要望に応じて、En-ROADSを活用したロールプレイ「気候アクションシミュレーション」などのファシリテーションを提供しています。ご関心のある方はお気軽にお問い合わせください。
小田理一郎