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今年の国際システムダイナミクス学会において、社会に顕著な貢献をした取り組みに対する表彰を受けたのが「Rethink Health(健康を再考する)」プロジェクトです。医療と健康は、人の営みや人的資本を考える上で中核的な課題であると共に、複雑性に満ちているために課題解決にしばしば困難を伴う分野でもあります。Rethink Healthは、医療システムの複雑さと相互依存性を理解し、改善するためにシステムダイナミクスモデリングを活用するイニシアティブです。ボビー・ミルスタイン、ジャック・ホーマー、ゲイリー・ハーシュなど数多くのシステム思考家たちが関わったこのプロジェクトは、医療改革に対する新しいアプローチを提供し、持続可能で公平な医療システムの構築を目指しています。本記事では、Rethink Healthの取り組みを通じて、米国における医療・健康問題へのシステム的な洞察を紹介します。
Rethink Healthは、医療システムにおける根本的な問題に対処するために生まれました。従来の医療システムは、断片化され、非効率的で、しばしば患者のニーズに対応できていないという課題を有しています。このプロジェクトは、システム全体を見渡し、より統合されたアプローチを通じて、これらの問題に取り組むことを目指しました。2011年当初、米国の疾病予防管理センター(CDC)の行ったHealth Boundプロジェクトとして立ち上がりましたが、その後Rippel財団の支援を得ながら、NPOを設立してその活動とインパクトを広げています。
このプロジェクトの特徴の一つは、過去の20-40年にわたる医療システムのパフォーマンス、医療改革の取り組み、そしてそのインパクトに関する膨大なデータを解析して、システムダイナミクスのモデルを構築したことです。これによって、医療システム内の異なる要因同士がどのように相互作用し、影響し合うかを理解することを支援します。政策変更、資金配分、リソース割当、患者および地域・国のアウトカムなどを考慮して、医療システムにおける潜在的な改革の影響を探求することを可能にしています。
Rethink Healthシミュレーション・モデルの構造
Rethink Healthには、米国全体のデータに基づく基本モデルと、地域データを活用してそれぞれの特徴を踏まえた10の地域カスタマイズモデルがあります。基本モデルでは2000-2021年の実データを再現するように較正した1000のパラメータと2000の方程式によって、2050年までの医療に関わる20以上の施策オプションとさまざまなアウトプット変数4000個のシミュレーションが可能です。このシミュレーションモデルにおける基本的なフィードバック構造が図1に示されています。
図1 Rethink Healthモデルの概観
(矢印は因果関係、Oは増減の影響が逆向き、緑線は介入、紫線は悪循環のループを示す)
原典:Jack Homer, et al., System Dynamics Modeling to Rethink Health System Reform.
Apostolopoulos, Yorghos; Hassmiller Lich, Kristen; Lemke, Michael K.. Complex Systems and Population Health (English Edition) (p.185). Oxford University Press収録
四角形で囲っている変数は、人口およびその健康度を表すストック変数で、高齢化や疾患の進行度が「健康」「軽度の慢性疾患」「重度の慢性疾患」へと変化していく連鎖状のストックです。実際にはさらに、年代、収入、社会的決定要因などのサブグループのストックで較正されています。
医療政策における重要なアウトカムは、ストック内に内在する慢性疾患率とその進行度以外にも、急性症状の疾病率、死亡率、医療費、医療アクセスの衡平性、そして、労働人口の生産性などがあり、上図において筆者が六角形で囲みました。
慢性疾患は、ケア需要につながり、それに対応するのがいわゆる「プライマリーケア」を提供する地域の病院・診療所などであり、「予防および慢性疾患ケア」と表現されています。
こうした慢性および急性の疾患に対する医療への改善、介入を「ダウンストリーム(川下)」と呼び、コスト削減、疾病率・死亡率の低下など医療の質の改善、アクセス不公平の改善、医療供給体制の増強などを目指します。一方で、近年注目されているのは、疾病の発症や進行に対して影響を与えるとする社会的決定要因である低収入、保険未加入、不健全な行動習慣、環境リスクなど「アップストリーム(川上)」への介入で、具体的には行動変容、環境改善、社会経済的地位の低い人向けの検査や公衆衛生に関する改善プログラムが含まれます。
医療改革に焦点をあてるこのモデルでは、さらにどのような改善プログラムを行うか、そのための財源をどのように確保するかについての検討が可能で、助成金、貸付、税控除などの伝統的な財源と、医療費削減の成果を関係者間で分け合うシェアード・セービングによる財源が示されています。
Rethink Healthのステークホルダー・エンゲージメント
このシミュレーション・モデルがもっとも活かされるのは、国や地域の医療改革に関わる政策決定者、医療機関・医療従事者、健康保険事業者、患者グループなどさまざまなステークホルダーを集めたワークショップにおいてです。それぞれの立場によって、注目するアウトカムや提唱する具体的な施策も異なり、ともすれば部分最適や他分野への悪影響を引き起こすような施策にこだわりがちになります。
Rethink Healthでは、膨大なデータに基づいたシミュレーション・モデルを活用し、さまざまな施策シナリオのシミュレーションを体験しながら、複雑な相互作用を多角的な視点で検討できます。異なるシナリオとその潜在的なインパクトを検証できるので、どの改革が医療アウトカム、医療システムの効率を改善するのに最も効果的なレバレッジ・ポイントやトレードオフを特定するのに役立ち、エビデンスに基づきながら、ステークホルダーのエンゲージメントによる透明性の高い意思決定をサポートします。これまでに数千人のチェンジメーカーが政策決定やステークホルダーのエンゲージメントに活用してきました。
例えば、ジョージア州アトランタ市では、8年以上にわたる四半期毎の会議を開催し、2020年までに18以上のイニシアティブを立ち上げて地域全体の健康と向上させる取り組みに2500人以上の関係者たちが参画しました。アトランタ地域における大規模な病院グループの閉鎖に対処すると同時に、「より少ない苦しみと苦労や苦しみで、より繁栄する望ましい未来の構想」に役立てました。
<健康的な地域社会デラウェア>では、このモデルを通じて「セクターを超えたパートナーたちが、より包括的なテーブルを設定することができた。公平で健全な環境を構築するための素晴らしいツールである。デラウェア州では、あらゆるセクターが、このツールが協力的な取り組みにおいて不可欠な役割を果たしている」と述べています。
ヘルス・パートナーズ研究所は、「新しいアイデアや方法を生み出し、それらが医療計画やケア提供の仕事に活かされている」と述べ、肥満の解決策に関する円卓会議では、「肥満への対処におけるパラダイムシフトを経験し、肥満の根本的な要因に対処するために上流に進む支援となった。個人レベルでのエネルギーバランス方程式に執着し続けるのではなく、肥満の根本的な要因に対処するために上流へと進むことができた」と述べています。
フロリダ州パームビーチ郡と<ザ・ビー・ウェルPBC>は、30人以上のコミュニティと地域システムのリーダーたちからなるネットワークを運営します。「私たちは新しい言語で武装し、市民の筋力と帰属意識を高め、重要な条件、フレームワーク、私たちの集団的な健康の公平性のアプローチのための基礎を築いている」と述べ、さらに「大きな医療システムの課題に対して、シンプルなルールを内面化し、既存の投資をシフトさせながら、セクターを超えた連携とリソースの調整に留意し、既存のやり方から脱却して、サービスを提供する地域社会と解決策が共同設計されるような医療システムを再び想像している」とも語っています。
こうしたさまざまな地域での取り組みを助けたのは、インタラクティブなシミュレーター、視覚化を助けるグラフィック、ワークショップのファシリテーター、ホワイトペーパーや共通体験としてのシアターなど体験的な方法からの学びや洞察の活用です。関係者たちはそれらの学びを社会にとって有意義なものにするための強力な方法を発見し、創造し、実践しています。さまざまな補完的な専門知識を持つ、情熱的で献身的な個人を集めたチームを編成し、それを統合する方法を見出していきました。
医療改革に関する洞察
このようなさまざまなステークホルダー・エンゲージメントを重ねた結果、Rethink Healthのメンバーたちは、医療改革に関する4つの重要な洞察に至りました。要約すると以下の通りです。
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源流(生活習慣と疾病リスク)へのアプローチ
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財源の持続可能性を担保する好循環
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医療改革の陥りがちな罠と対策
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統合的な施策ポートフォリオの必要性とマルチベネフィット
これらについては、先ほどの外観図により詳細を加えた下記のループ図を用いて紹介します。
図2 Rethink Healthシミュレーション・モデルの重要なフィードバック・ループ
医療費の多くは、急性症状の発生に伴う救急医療や高度医療で費やされるゆえに、疾病の進行度を抑え、健康の回復を図ることは医療政策の重要な目的となります。疾患の発症に始まり、順次進行していく疾患に対して、質の高いプライマリーケアを通じて予防および慢性疾患ケアを提供することは、医療費を抑えながら疾病率を抑えて高いQOLを実現する上での基本となります。(B1:「プライマリーケア」ループ)
図には表現されていませんが、急性症状の発生に伴う救急・高度医療によってのバランス型ループも存在します。慢性疾患および急性症状の組み合わせが、通院、検査、処置、手術、救急医療、入院、急性期後のケア、あるいは看護施設・在宅医療・ホスピスでのケアの需要をつくり出します。
急性症状から最悪の事態に発展して死亡に至ることで疾病の進行度は収束するB2:「急性症状による死亡」ループもありますが、このループは極力回避して、より多くの市民がより健康な状態で長寿を迎えることが望ましいといえるでしょう。
病気の進行が進んだ状態となると2つの悪循環につながることがあります。まず、労働人口カテゴリーに入る人が重度の疾患にかかったり障害を持ったりした場合にはしばしば賃金収入を失うことになります。収入の減少と社会経済的地位の低下は、本人だけでなく、その世帯に住む家族全員にとってリスク行動やリスク環境などの疾病リスクの増加を招き、慢性疾患をもつ人や予備軍をますます増加さえます。(R3:「疾病リスクと疾病悪循環」ループ)
また、米国ほどに医療費の増大が進行すると、健康保険の喪失や就業機会を失うことともなり、それによって世帯の疾病リスクが高まって、さらに医療費の増大につながります。(R4:「医療保険・就業機会損失による医療費増大悪循環」ループ)
洞察1:源流(生活習慣と疾病リスク)へのアプローチ
医療改革で注目されている施策の一つは、病気の発症や進行が進むよりもさらに川上での疾病予防に注目し、リスク環境、リスク行動やその社会的決定要因となる低収入や低い社会経済的地位などの源流となるに対して働きかけを行うことです。こうした上流での取り組みには、慢性的な疾患を抑えるために健全な食生活、適度な運動などより健康な行動習慣を支援すること、喫煙、薬物乱用などのリスク行動を抑制することなどが挙げられます。長期にこうした取り組みを行うことで、市民一人当たり年間数十ドル程度と相当低い投資で疾病率低下と医療費削減を実現できることも報告されています。
それを受けて、健康保険組合や自治体などは、こうした源流へのアプローチを伝統的な資金源である助成金などで始めることがしばしばです。しかし、助成金などのアプローチは概して、3~5年などの限られた期間であることが少なくありません。結果として、行動変容を促すプログラムは、資金源のある期間効果を出すことは可能だが、資金が枯渇ないし期限が到来した時点でそれ以上の効果が現れなくなっていました(B5:資金枯渇ループ)。
しかし、ステークホルダーたちとの対話を続けてきたRethink Healthチームは、この罠に対する対策も発見していきました。
洞察2:財源の持続可能性を担保する好循環
「長期の財源見通しを立てないままに資金を枯渇させてしまう」のは、医療改革にとどまらず、社会課題解決によくみられる罠です。社会課題への資金提供は、当事者たちが独自財源をつくり出すまでの期間限定であること、あるいは呼び水となる「シードマネー」的な位置づけであることが多いからです。
Rethink Healthの取り組みを通じて、多くの成功する医療改革プログラムが行き着いたのは、「シェアード・セービング」という手法です。健康保険組合や保険会社は、医療費削減を主目的に投資を行い、またその節減の成果を享受しようとします。しかし、助成金が枯渇すると疾病予防の効果がなくなってしまうのでは、保険会社にとっての効果もまた時間限定的になってしまいます。そこで、地域団体などのプログラムの実施者たちは、医療費削減のメリットを享受する健康保険組合や保険会社とあらかじめ取り決めとして、削減された医療費の一部をプログラム継続の資金源としてプールする協定を結ぶこととしました。
このシェアード・セービング協定によって、医療費削減につながるプログラムにおいて成果を出し続けることで財源を確保することができ、効果の確認されたプログラムへの再投資や新しいプログラムへの投資を行うことができるようになりました。(R6:「資金循環による好循環」ループ)
また、洞察1と組み合わせた重要な洞察があります。それは、源流へのアプローチを急ぎすぎないことです。生活習慣の変容に関わるプログラムは長期的な取り組みが求められるゆえに、長期的な財源確保のめどを立てながら、少しずつ成果を重ねていくことで、いずれより大きな好循環を長期に回すことができるでしょう。短期資金のみで取りかかるのは、逆効果となってしまいます。
洞察3:医療改革の陥りがちな罠と対策
医療改革や改善プログラムの効果を相殺するような副作用や抵抗は、資金源の枯渇だけにとどまりません。例えば、そうした政策への抵抗の例が、「医療機関のインセンティブを調整することなく医療費削減施策を実施する」場合です。川下の医療段階における改善として、地域で医療連携コーディネーションや事前スクリーニングなど、プライマリーケアを充実させ、高額となりやすい高度医療への流れを限定的にする施策がしばしばとられます。しかし、訪問者数の減った専門医は、減少した収入を補うために、出来高払いの患者当たり診療報酬をあげるように検査数や処置数を増やし、あるいは診療単価の高い方法などを選ぶ傾向があり、医療費削減の効果が相殺される「政策への抵抗」(R5ループ)が起こっていました。この罠は、専門医のインセンティブを調整するため、出来高払いから患者当たりの包括的支払いの方法を合わせて実施することで回避することが可能です。
また、国民皆保険のない米国において、医療アクセスの不公平の問題は顕著に表れ、全米人口の3分の1が医療アクセスの問題を抱えるために平均よりも相当低い医療アウトカムしか享受できていません。従って、医療改革プログラムの焦点として保険の非加入者や低収入の人たちに向けて、リスク行動やリスク環境の抑制、セルフケア、健康改善、貧困者向け医療プログラムなどの取り組みを行っています。また、低所得者向けの医療サービスの提供を拒む医療機関も多く、供給側の拡大も重要な課題となっています。
例えば、セルフ・ケアプログラムを実施すると、健康への意識が高まり、それによってプライマリーケア診療への需要が増大します。しかし、供給体制への手立てのないままに医療アクセスの改善を図ると、その地域でのプライマリーケア需要が高まり、供給体制の不足・不備の問題が起こりがちです。こうした地域では、2つの経路で救急病棟の需要を増やします。一つは、緊急ではないのに救急病棟を利用すること、もう一つは、プライマリーケアを適切に受けることができないために病気が進行して急性症状を増加させてしまうことです。そして、救急病院もまた混雑することになるので、総じて医療の質の低下と医療費の増大を招いてしまいます。こうした罠を回避するためには、医療アクセスの改善は、需要側だけでなく、供給側と併せて進めることが必要となります。
洞察4:統合的な施策ポートフォリオの必要性とマルチベネフィット
このように、多数のステークホルダーが存在して、さまざまな要因が複雑な相互用を起こす中で医療の質、コスト、衡平で適切な供給大切などの複数のアウトカムの実現が求められる医療システムでは、局所や短期を見て施策を打つのではなく、長期に全体的な視点から改革を設計、実行することが重要です。
Rethink Healthのシミュレーション・モデルは、まさにこうしたシステムの複雑性や施策の効果におけるトレードオフや相乗効果を可視化するツールでもあります。
図3:施策シナリオ毎のアウトカムシミュレーション
図3では、医療の質の指標にA「重度慢性疾患患者の比率」、衡平性の指標としてB「医療アクセスの不公平」、コストの指標としてC「一人当たり医療費インデックス」に関して、Rethink Healthによる2021年から2040年までのシミュレーション結果(2021年までは実績データ)が示されています。それぞれ、青線がベースシナリオ(過去実績および未来のなりゆき)を示しています。
重度慢性疾患患者の比率の削減において、単独でもっとも有効なのは緑の線で示されている「健康な生活習慣と節減額の再投資」シナリオです。コストでは中程度の改善、衡平性ではわずかな改善にとどまります。
医療アクセスの不公平を減らすには、オレンジの線で示される「恵まれない者向けセルフケアと供給体制強化」が単独でもっとも効果的です。医療の質でも中程度の成果を出しますが、コストはベースシナリオよりも上昇します。
医療費の削減においては、赤線で示される「医療機関連携+包括的支払い制度」が単独でもっとも効果的です。しかし、医療の質や衡平性の改善はわずかなものにとどまります。
一つの施策シナリオでは、どれか一つのアウトカムで成果を出せるものの、他のアウトカムを達成できていません。そこでシナリオの組み合わせを吟味した結果、黒線は、上記3つの施策を「統合ポートフォリオ」として提供する場合に、質、衡平性、コストのすべての側面で最大の効果を生み出すことがシミュレーションされました。
まとめ
Rethink Healthプロジェクトは、医療改革に対する洗練されたアプローチとの評価を受けています。システムダイナミクスモデリングを活用して医療システムを理解し、改善するこの焦点は、医療提供と政策において新たな道を開く可能性を秘めているからです。エビデンスに基づきながらステークホルダーたちの協働を進めるアプローチは、医療システムの複雑さに対処し、長期的な計画とシステム思考を医療改革に取り入れるための有望な筋道を示します。
システム・モデリングとステークホルダー・ダイアログを組み合わせるアプローチは、医療・健康にとどまらず、他の複雑な社会課題にも応用可能と考えています。このプロジェクトのアプローチとプロセスには、さまざまなヒントがあるのではないでしょうか。
(小田理一郎)
参考文献・ウェブサイト
Jack Homer, et al., System Dynamics Modeling to Rethink Health System Reform.
Apostolopoulos, Yorghos; Hassmiller Lich, Kristen; Lemke, Michael K.. Complex Systems and Population Health (English Edition) (p.185). Oxford University Press.
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