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システム思考の世界観を得た人のものの見方や捉え方は独特の特徴があり、どんな分野であれシステム思考の訓練を受けた人が書いた文章はそれとなくわかります。米国のベストセラー作家ジェームズ・クリアーもその一人です。彼の「習慣」「継続的改善」に関する講座は、企業やMLB、NFL、NBAなどのスポーツ団体のリーダー、マネジャー、コーチたちの間で人気を博しています。ブームのきっかけともなった彼の図書『Atomic Habits(邦題:複利で伸びる1つの習慣)』を紹介します。
習慣が長期に作り出す違い
ジェームズ・クリアーは、学生時代野球において再起不能とも思えるような大けがの経験を経て、自分自身の習慣を見直すことでアスリートとして復帰し、関連する理論や実践手法を突き詰めた経験をまとめて書籍にしました。
良い習慣と悪い習慣について、1日あたり1%の改善か改悪かの違いしかなくても、積み重ねることで、1年間でのインパクトは、改悪パターンではもとのたった3%減るのに対して改善パターンではで37倍にもなるという時系列変化パターングラフを示します。英国の自転車競技チームの例を引き合いに出して自己強化型フィードバックによる指数関数的成長の潜在的可能性の大きさを示します。
図0 時系列変化パターングラフ:1日あたり1%改善パターンと1日あたり1%改悪パターンのインパクト
この非線形のパターンは多くの人の直感に反します。指数関数的成長をまっすぐの成長トレンドに重ねると如実にわかりますが、成長カーブが立ち上がるまでの長い期間はしばしば多くの人にとっての期待値である線形の成長トレンドにはずっと遅れをとり続けます。しかし、ひとたび閾値を超えて成長カーブが立ち上がるとまっすぐの直線をはるかに上回る角度で大きな違いを作り出していきます。一つの習慣の長期的なインパクトを軽視するのは早計です。まして、積み上げや波及効果の多い習慣をルーティン化した結果は、遅行指標である長期的な結果に大きな違いを生み出します。クリアーは岩叩きの引用を通じてこのポイントを印象的に語ります。「100回叩いても岩にはひびひとつ見られない。ところが101回目を叩いたとき、岩はふたつ割れる。岩を割ったのは最後の一打ちではない―それまでのすべての殴打である」
習慣はどのように形成されるか?
彼の習慣に関する洞察は、「オペラント条件付け」と呼ばれる学習理論とその補強に基づいています。つまり、「刺激、反応、報酬」によって、動物や人は成功を導く行動や習慣と反対を導く行動や習慣を選別し、より少ない努力で結果を得られる行動を学習していくというものです。クリアーは、他の認知理論や行動理論の知見も合わせて、次のようなフィードバックループの存在を解説します
図1 習慣が形成される仕組み
外界からのきっかけ(刺激)に対して、私たちはそれが自分たちにとってよいことか悪いことかについて予測し、そこでしばしば欲求・願望を意識的あるいは無意識的にいだき、反応します。それは、熱湯を触って慌てて手を離すような文字通り反応的な「反応」もあれば、問題や仕事上の作業をするような「行動」として反応することもあるでしょう。こうした行動が反復され、無意識でも行えるくらい日常的に決まり切った行いとなった反応を「習慣」と呼びます。そして、反応によって私たちは欲求を充足できたときに願望が満たされる(B1「ニーズ充足」ループ)とともに報酬を獲得(危険を回避する、仕事を終える、など)して満足を得ます。
しばしば試行錯誤や反復のもとにこうした体験を繰り返すうちに、動物や人は報酬を予測し、きっかけに対してもっとも効果的であった行動を学習し、その行動を強化します(R2「学習による強化」ループ)。加えて、しばしば環境の中であいまいなきっかけをより明瞭に理解できるようになるであろうし、あるいは儀式化することできっかけを自ら築くころもできるでしょう(R2'ループ)。
こうして報酬を得て満足を得ることができる行動を反復していくうちに、「長期増強」と呼ばれる脳内神経間の連結が強化されていくことで行動が無意識でもできるくらい行動がとりやすくなって「自動化」していきます。当初は意識的な解釈や推論をもって予測を行っていますが、意識という限られたリソースを最小限の利用ですむ自動化は人にとって極めて魅力的です。こうして効率よく結果を得られる行動パターンの自動化を蓄積していくのが、人間のメンタル・モデルの仕組みでもあります(R3「自動化」ループ)。
モノをつくる、文章を書く、楽器を演奏する、スポーツを行うなどの行動の反復は、アイデンティティーの形成にもつながります。「自分は○○する人である」といった自己認識ができるとますます無意識にでも習慣的に行動をとるようになるでしょう(R4「アイデンティティー形成」ループ)。
私たちは、こうした仕組みから半ば無意識にでも習慣を形成していく一方で、仕事や生活の節目に「運動をする」「食事を見直す」「学習する」など、さまざまな新しい習慣の目標を立てるにもかかわらず、その習慣を定着することにしばしば苦労します。悪い習慣に限って簡単に身につくか、あるいはかつては成功したが今まで有効性の低い習慣にとらわれてしまうこともあります。
なぜ良い習慣は定着しないのか?
新しい良い習慣はなぜ簡単に定着しないのでしょうか? それは、けして意志力が弱いからではないとクリアーはいいます。「もし習慣を変えるのに苦労しているなら、あなたに問題があるのではない。問題があるのは仕組みである。悪い習慣が勝手に何度も繰りかえすのは、あなたが変えたくないからではなく、変えるための仕組みが間違っているからだ。」
クリアーは下図に示すように新しい良い習慣の阻害要因を説明します。
図2 新しい良い習慣が根付きにくい構造
○悪い・古い習慣のきっかけがしばしば背景、環境あるいはその人の過ごす時間や場所の中に埋め込まれている
○悪い習慣の行動は、悪い感情や気分から瞬時に衝動的になされ、そのためにまた感情や気分を悪くなる悪循環となりやすい(R0「悪習の自己触媒」ループ)
○欲求や願望がただちに良い習慣行動に結びつかないし、良い習慣の結果、報酬が即時に得られないことが多いために学習による強化が働きにくい(B1、R2ループ)
○新しい習慣への移行には、時間、手間、努力などのコストがかかる一方、古い習慣はとりやすく、またしばしば古い習慣への同調圧力が働く。新しい習慣の自動化までに時間を要する(B3、R3ループ)
○習慣は両刃の剣である。古い習慣、悪い習慣を行うこともまたその人のアイデンティティーを形作り、あきらめや無力感が支配することすらある。しばしば古いアイデンティティーへの固執が阻害要因となる一方で、新しい習慣によるアイデンティティー形成には時間がかかる(R4ループ)
○自分の性格との適合性、新しい習慣の実行能力の構築などが影響を与える(R5「能力構築」ループ)
○良い習慣の効果は長期的に大きな時間の遅れを伴って得られることが多い。さらにその遅れて生じるメリット(「遅延報酬」)が認識されたとしても、現在価値への時間割引がなされ、将来の脅威は過小評価される傾向が強いのに対して、目の前の脅威や便益は過大評価される傾向がある(R6「長期的な成果」ループ)
○良い習慣が形成されはじめても、その欲求充足が退屈さによって魅力的ではなくなっていく(B7「退屈」ループ)
これらのループは、習慣の定着を阻害する「成長の限界」、習慣を改めることが根治療法であるにもかかわらず悪い習慣を対症療法として用いつづける「問題のすり替わり」、そして、図には明示されていませんが、古い習慣が支配的な自己強化型ループを形成するために、新しい習慣へのリソース配分(相対的なアイデンティティー、行動のしやすさ)が回らない「強者はますます強く」の構造を形成しています。
悪い習慣を断ち、良い習慣を築くには
では、悪い習慣を断ち、良い習慣を築くためにはどうすればよいのでしょうか? クリアーは、「はっきりさせる」「魅力的にする」「易しくする」「満足できるものにする」という4つの法則と26の具体的な方法を示しています。それらの方法を、先ほどのループ図上にプロットすると下図のようになります。
図3 悪い習慣を断ち、良い習慣を築くための仕組み
システムの観点で見るならば、赤矢印で示した介入は、スピードの速い悪い習慣の悪循環(R0ループ)を弱化させるものです。そして、緑矢印で示した介入は、遅れが多数介在する良い習慣の好循環については、その阻害要因や制約(B3、B7)を取り除くと共に、遅い自己強化型ループ(R3、R4、R5、R6ループ)が蓄積を重ねるまでに必要となる初動の敷居をさげ、好循環スターターを埋め込み、また、短期に認識できる小さな成功循環(R2ループ)を築くものです。とりわけクリアーが重視しているのは、「習慣がアイデンティティーを形成し、アイデンティティーが習慣を形成する」R4の自己強化型ループです。極めて経路依存性が高い一方で、私たちは轍を外れて新しいアイデンティティーを選ぶことが可能です。「どのような人になりたいか」を問い、自己を深く理解し、そして明確な、なりたい人のイメージを明らかにしたとき、習慣はそのアイデンティティーを体現するバロメーターとなります。
クリアーは、フィードバックループ以外にも以下のような観点でシステム思考を活用しています。
システムの構造レベルでの働きかける
結果や達成したい結果など、氷山モデルのできごとレベルではなく、結果へと導くプロセスの行動パターン(習慣)と構造(仕組み)に焦点をあてて、システムの構造レベルでの働きかけを多く提示しています。行為者の努力や精神力に任せるのではなく、環境や背景など物理的な構造や行動の意思決定を行う際に目に見える情報などを変えることによって、悪い習慣のきっかけをのぞき、行動を難しいものにする一方で、良い習慣のきっかけを埋め込み、行動をとりやすいものにしています。
つながりと波及効果を意識する
「習慣の積み上げ」「誘惑の抱き合わせ」や行動後に認識しやすい補助報酬など、すでにその人のシステムに存在するものを新しい行動習慣につなぎ合わせています。また、蓄積以外にも多重のメリットを生み出す習慣の入り口の波及的な影響など、レバレッジを意識しています。本書の主題である「アトミック・ハビッツ(最小習慣)」とは、小さくて行いやすく、複利的に成長する仕組みの構成要素として、大きな成果をもたらす日常的な練習やルーティンであるとしています。まさに、システム思考のレバレッジ・ポイントの考え方が主題になっています。
メンタル・モデルのレベルで働きかける
本書には、悪い習慣を正当化し、あるいは、良い習慣が継続しないことの心理的要因やメンタル・モデルの記述が多くあります。そして、このメンタル・モデルへの対策として、環境要因からメンタル・モデルの発動を抑止するだけにとどまらず、良い習慣を後押しするメンタル・モデルを提示、また、意味づけ、捉え直し、リフレーミングなどのテクニックを織り交ぜています。また、習慣は無意識で行う自動化の仕組みを活用する故にメンタル・モデルと密接に結びついています。ある時点で良い習慣として始めたことが、後に阻害的なメンタル・モデルを生み出す元凶ともなりかねません。クリアーは、習慣の落とし穴を認識し、継続的な学習や振り返りを推奨しています。
目標達成ではなく、なりたい自分のビジョンから始める
クリアーは、スポーツの世界で勝者も敗者も同じように勝つことを目標としていることから考えても、目標への焦点は必ずしも結果を生み出さないことを指摘します。私の日常においても、健康のために運動やダイエットをしようとする抱負を見ても、目標を立てるだけでは結果につながらないケースを多数経験しています。クリアーは目標ではなく結果を導くプロセス(習慣と仕組み)に焦点を当てた上で、習慣を形成づくりのドライバーとして「どのような人になりたいか」という、アイデンティティーに関する自分自身のビジョンを重視しています。また、目標に焦点を当てることの最大のリスクは、目標が達成されたときに、さらなる行動の動機が弱まることです。しかし、「どのような人になりたいか」というビジョンによる場合、背後にある目的意識によって到達レベルを継続的に高め続けることにもなるでしょう。
習慣というテーマをもとに、私たちが普遍的にもつ習慣形成のシステムとその落とし穴、そしてなりたい自分に導いてくれるような仕組み作りについて、さまざまなシステム的洞察と知恵の活用が満載されています。個人レベルでの活用も組織レベルでの活用にも、おすすめできる一冊です。
(小田理一郎)
2023年8月6日公開
8月9日図0追加
推薦図書
『ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣』
『Atomic Habits』
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