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自らよりよい未来を切り拓いていくためには、大局の流れを掴み全体像を俯瞰することが欠かせません。全体像を見なければ、どこに問題の根本やレバレッジ・ポイントがあるのか、どのような工夫(イノベーション)や実施戦略が有効なのかを適切に考えることができず、多くの努力の浪費に終わってしまいがちです。
職場や事業、政策マネジメントの文脈で全体像を見るために有効とされるのがシステム思考です。システム思考では、現状起こっていることや未来に起こりうることについての地図を描き、関係者でその意味を共有するプロセスを経て、実行に関わる人たちの間での目的地となるビジョンやその道筋となる戦略・施策、いざというときの代替ルートになる適応策などを練り上げます。
システム思考のもっとも重要な基本は、多様な関係者が集まってそれぞれが語り、そしてお互いの話を深く聴くこと、つまり複眼的にものごとを捉えることです。さらに、全体像を捉えようとするとき、しばしば数多くの要素と、それ以上に複雑な要素間の関係性が生じます。私たちの短期記憶は通常3~7つのことしか捉えられません。
そこで、システム思考ではしばしばループ図、ストック/フロー図などのシステム図を用いて数多くの要素を見える化し、全体を俯瞰しやすくします。また、さまざまな関係者の視点、ものの見方を平面上に容易に追加できます。そうすることによって、私たちはそれぞれのものの見方や考え方の図式や文脈をモデル化して共有するとともに、システム図の広がりがまさに視野の広がりに直結していくことを体感します。
システム思考の前半のフェーズは、過去から今までのパターンを創り出してきたシステムの構造の理解です。もしそれが筋のよいシステム構造ならばよいのですが、現在の組織や社会が抱える課題の多くは「成長の限界」「行き過ぎと崩壊」「どん底への悪循環」「一時よくなるがその後悪くなる(問題の先送り)」など悪いパターンの筋にはまっていることが多いです。システムの大原則は「パターンは構造によって創られる」こと。構造を変えない限りは、時間の経過と共に悪い筋のパターンへとはまっていってしまうでしょう。
このように現実を複眼的に、大局的に理解できたとして、私たちはどのようにして未来を切り拓いていけばよいでしょうか? さまざまな行動選択肢の中で、どのような行動をとることが全体最適につながるのでしょうか?
実践上では、未来の展開についてのシミュレーション・モデル、シナリオのいずれか、あるいはその組み合わせが使われています。
システムは概して私たちの直感に反する挙動を示すことが多いものです。システム図で状況を俯瞰して、目の前でとれる解決策よりも幅広く、発想を広げることには十分効果を発揮します。では、一見離れたところにある施策を打ったとして、それがどの程度の結果を残せるのか、どれくらいの期間で目標に到達するのかなどがはっきりしないとなかなか投資や施策には踏み込めないこともあるでしょう。
そこで、特定の行動や投下資源が、長期にわたってどの程度の成果につながるか、あるいはどのような副次的な変化が起こるかなどを可視化するシミュレーションがしばしば行われます。数々の行動選択肢の中から、一見よさそうであるが中長期には状況を悪化させるような対症療法を避け、過去の延長や直感では気づかないような最適な選択肢を見出すことができます。
例えば、デュポン北米のマネージャー達は工場設備の修理と保守の資源投入パターンをどのように変えれば、稼働率を上げ、納期を早め、コストを最小化できるかのシミュレーションを実施し、最適策について経営陣を説得して北米で400億円以上の収益改善の成果を挙げました。GMは、ITを活用した新サービスを、どのようなマーケティングミックスの組み合わせが収益を最適できるかシミュレーションを行い、新サービスの上市に成功を納めています。また、建設業界のフルオール社は、プロジェクト・マネジメントで仕様変更などが与える影響をモデル化し、チームや顧客との対話ツールとして活用することで100以上のプロジェクトで1000億円以上の収益改善を実現しています。
市場規模やシェア、売上や利益などの予想は十分な情報と堅牢なモデル構築プロセスがあればシミュレーションを行うことは難しくはありません。しかし、現実にはそうしたシミュレーション・モデルの構築自体に相当規模の投資とノウハウを必要とすることに加え、私たちが直面するような複雑な社会では、さらにその前提となるような社会の価値観・ライフスタイル、政策・制度、技術、インフラの変化など定量的には捉えがたい変数が多数あります。また、こうしたレベルでの変化は、しばしば、起こるか起こらないか、といったシミュレーションの前提そのものに関わるといえるでしょう。
こうした状況で使われるのがシナリオ・プランニングなどのシナリオ手法(シナリオ・プランニング)です。シナリオは、ストーリーとシミュレーションの間に位置づけられます。主観と客観が混同しやすいストーリーに比べて、外的要因がどのように展開しうるかの定性モデルを構築することによって、主観と客観をきちんと分けることができます。一方で、シミュレーション・モデルほど精緻な検討は行わないまでも、大局の流れを規定するような分岐点を特定し、不確実な事象が起こったとしたらどのような未来が展開するか複数(典型的には2つか4つ)の起こりうる未来のシナリオを構築します。
シナリオは、けして未来予測でもありませんし、あるいはあるべき姿・望ましい未来でもありません。単に、未来に何が起こりうるのか、起こった際にはどのように社会経済やさまざまなプレイヤーが行動するかの流れが提示されます。
その上で、どのシナリオが起こったとしてもよいような、よりしなやかなビジョンや戦略を選んだり、あるいは、前提が変わるような事態においてどのような適応策をとればよいかをあらかじめ組織で共有するためにシナリオが使われます。
シナリオの代表的な手法であるシナリオ・プランニングは、シェルが1970年代にオイルショックの到来に備える演習で、一気に業界リーダーに躍進した事例が有名です。まだ需要が伸び続け、資源開発も続いたため、資源の稀少化による影響などマネージャー達の誰もが起こりえないと考えていた時代のことです。「原油供給制約」がどのように起こりうるかのシナリオを提示され、そのリスクと機会への適応策の検討をトップからの要請として話し合いました。現状の設備や戦略の課題が洗い出され、また、どのような適応策がよいかについて話し合っていきました。
このようなシナリオによる学習プロセスは、当たり前となっている空気感を払拭し、斬新な「未来の記憶」をマネージャー達の頭の中に焼き付けます。起こりえないと思っているようなことも、起こるとしたらどのようなところで、どのような予兆を注目していればよいか、ひとたび起こったならば、消費者や顧客、政府や社会がどのような対応をするか、現実の正確な予測はできないまでも、諸関係者の行動パターンやそれを引き起こす構造の理解がしっかりと共有できるのです。
シェルの事例では、中東諸国などがカルテルを結成した際に、およそ他の有力企業がこぞって想定外の事態に右往左往し、地域や市場、規制毎に異なる多種多様な適応が求められるにもかかわらず、意思決定を中央集約的に行ってしまったために、戦略と施策について数年間にわたって失敗し続け、経営体力を大幅に疲弊させていました。
一方、このような事態にどのようにすればよいかについての新しいメンタルモデルを共有していたシェルでは、意思決定権を地域に分散化させることができたおかげで、地域、市場、政府毎に異なるルールや状況にあわせて、現場のマネージャー達が迅速な行動をとることができました。(但し、シナリオ・プランニングについて真剣に取り組まなかった事業部門は的確な行動がとれませんでした。)
当時7社あった石油メジャーの下位グループであったシェルは、この学習プロセスによって首位グループへと躍進を果たしたのでした。シェルのシナリオ・プランニングはその後40年以上にわたって続けられ、旧ソ連の体制変更やベルリンの壁の崩壊を想定するシナリオをあらかじめ構築するなど、時代の変化を先取りする戦略策定を続けてきました。つい10月にももっとも新しいシナリオ・プランニングの成果として、「マウンテン・シナリオ」(エリートによるトップダウン型ガバナンスが継続強化される)と「オーシャン・シナリオ」(草の根・地域重視で多様な社会へと向かう)の2つの世界観が提示されたばかりです。
最近他界した南アフリカの元大統領マンデラ氏への政権移行と運営についても、シナリオ手法(シナリオ・プランニング)の活用が基盤づくりに大きな役割を果たしました。後に、「トランスフォーマティブ・シナリオ・プランニング」と呼ばれる、シナリオ策定と多様な利害関係者による対話を組み合わせたプロセスが、当時の白人政権の主要メンバーと後の黒人政権の主要メンバーの間での共通理解を広げ、融和に向けての暗闇の中でも灯り続ける道しるべの役割を果たしました。
他にも、内戦後の再興を目指すグアテマラ政府や、麻薬問題で疲弊したコロンビア政府をはじめ、国レベル、地域レベル、業界レベル、企業レベルなど多様な規模で、しばしば多様な関係者や専門家を巻き込んでシナリオ手法(シナリオ・プランニング)が実践されています。価値観が多様化し、不確実で変化の激しい昨今の世界や事業環境において、共有ビジョンや長期戦略策定のベストプラクティスの一つとしてシナリオ手法(シナリオ・プランニング)が広がっています。
シナリオ手法(シナリオ・プランニング)の効果は、リスクや機会、変化の予兆を迅速に見出し適応すること、何が起こるかわからない状況下でも、もっとも粘りのある戦略や組織づくりを促すこと、そして、十分な利害関係者が集まって一緒に話し合えば、相互に望ましい未来を共創することすら可能になります。
その根底にあるのは、過去の体験に縛られたメンタルモデルから私たちを開放し、現実をありのままに受け容れつつも、苦境においてもよりよい未来を築きうるという、簡単には腰折れしない、粘り強さを私たちに与えてくれます。政策や戦略といった仕事レベルだけでなく、私たち自身や家族の人生にも大いに役に立つと言えるでしょう。
未来をどのように切り拓くか? 新年(度)、新期の計をたてるこの時期、システム思考で時代の流れを見つめ、シナリオ手法(シナリオ・プランニング)でさまざまな未来に想いを巡らすのはいかがでしょうか?