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(2010年4月に開催したチェンジ・エージェント社5周年記念講演の講演録「『変化を創り出す』ということ~その技、その思い~」の4回目です。プレゼンテーションのスライド及び第1~3回の講演内容は、下記のサイトからご覧いただけます。)
スライド http://change-agent.jp/files/Junko_Edahiro_on_Change.pdf
第1回 http://change-agent.jp/news/archives/000364.html
第2回 http://change-agent.jp/news/archives/000369.html
第3回 http://change-agent.jp/news/archives/000377.html
構造を見たあとで、それをどう変えるかということを考えて、このあと、また小田がもう少し話をすると思いますが、実際にその変化をつくっていく、というのが流れとなると思います。
環境に関して言うと、今言ったような流れで、あるべきビジョンを考えて、構造を見抜いて、自分たちが何をすべきかということを、2日間じっくり考える集中ゼミというのを年2回やっています。今回もその卒業生の方、ゼミ生の方も来てくださっていますが、次回が5月21~22日、2日間でやりますので、もし自分の会社についてしっかり考えてみたいと。2日間の投資は大変だと思いますが、価値のある時間になると思うので、お知らせしておきます。
2007年に、日本学術会議が、「新しい学術の体系」という面白いものを出しました。ここで2つの科学を区別しているんですね。1つは「認識科学」といいます。あるものが、それがどうなっているか、どうしてそうなのか、ということを探求する。
もう1つは「設計科学」と名前を付けていましたが、あるべきものを探求するものです。これまでの科学は、あるものの探求ですよね。もうすでにあるものが、どうしてあるんだろうと。でも、あるべきもの--これはビジョンにもつながりますが、あるべきものをつくり出す。そういった科学が必要だという話です。
そのとき何が大事かと言うと、「縦型の知」と「横型の知」という話です。縦型というのは分野別で、モノを対象に、縦型の掘り下げていく知ですよね。それに対して横型というのは、横串という言葉もありますが、それはモノに依存するのではなくて、コトを大事にする。そして、いろいろな分野をつなげる形でやっていく。
たとえば縦型だと、いわゆる工学の分野で言うと土木工学とか、機械工学とか、電気工学とか、これはみんな、それぞれ土木とか建築とか、分けていくわけですよね。
それに対して横型というのは、システム工学とか、設計学とか、電気も建築も機械もみんな含んだ形で、それぞれのつながりをどうシステム化していくの?という工学です。ですから、同じ工学といっても、縦型と横型とあって、この場合、やはり横型で、じゃあ、どういう政策がいいんだろうとか、どういう変化をつくり出すべきだろうとか、それをつくっていく。
ですから、この結果、こういうお家ができましたとか、こういう製品ができました、というよりも、たとえば政策であるとか、人々の行動変容であるとか、そういったものをつくり出していくというのが横型です。横型というのは、人間社会の実際の問題を解決することを一番大事にしています。
こういうことを考えるとき、私はよく『星の王子さま』を思い出します。「肝心なことは目に見えないんだよ。心で見なくちゃ、物事はよく見えない」。これが、『星の王子さま』の大事な、私の一番好きなメッセージです。私たちは、自分が見えていること、自分たちが理解できていることがすべてだと。それが現実だと思います。でも、そうじゃないですよね。
わかりやすい例は、可視光線です。可視光線というからには、見えない不可視光線というのもあるわけですね。私たち人間は、これは物理的な機能によってですが、この範囲のものしか見えない。だけど、動物によっては、この範囲以外のものが見えるものもありますよね。それは、存在していないのかと言うと、そうじゃなくて、それはある。私たちに見えないだけ。
なので、物事を見るときに、自分たちには見えていないものがある。自分に見えているのはごく一部だという認識を、ごくごく素直に謙虚に持つことが、こういったシステム思考的な問題解決をしていく上で、一番大事じゃないかなと思っています。
そうしたときに、それを補うのは何か。自分から見えているのは一部だけだと。それを補うのが、1つは多様性です。自分ひとりでは全部見えない。どうしたって、自分の所からしか見えない。そのときに、多様性でいろいろな角度、いろいろな立場からの人たちが、どう見ているか。それがどう考えられるか。それを一緒に併せて考えていく。これが多様性の力です。
今、生物多様性だけではなくて、職場の多様性という話も非常に熱心になって、ダイバーシティという、女性を増やしましょうとか、障害者を入れましょうというような取り組みがあります。今のところ、多くの企業の動きを見ていると、残念ながら"数合わせ"に近い感じの所も多いような気がします。「男性○人、女性○人いるから、多様性がある」とか。でも、そうじゃないですよね。
たとえば男性が10人だとしても、10人が多様な意見を持ち、多様な意見が言えれば、十分多様性があると思います。男性、女性の話だけではない。ですので、数合わせではなくて、ほんとの意味の多様性ということですが、その多様性を持って本当の対話をしていくこと。
そして、「真の対話」--これは午後もやりますけれど、これはやはり、そのための作法があります。私は、しばらく前から、どうやっていろいろな、立場の違いう、意見の違う人たちの間で、立場からの話をするのではなくて、もっと本音の真の対話ができるんだろうか、ということをいろいろ試してきました。
2007年に、「クライメート・カフェ」というものをやりました。何人か、この中にも参加された方もいらっしゃるかもしれません。気候変動、温暖化について、どういうふうに自分たちで考えていくかということを、グループに分かれ、何度かグループを替えながら話し合いをしていく。自分のいつもの見方ではないものを、どうやって受け取っていくか。
そして温暖化に関して言うと、「日刊 温暖化新聞」というウェブサイトを運営しているのですが、そこで企業団体パートナーというグループをつくって、今、50数社・団体が参加してくれていますが、そこでやはり、いろいろな業種の、立場を超えた話ができるような場を設けています。
実際にこの異業種勉強会でやっていることですが、たとえば経産省の人に来てもらって、まったく違う見方をお聞きするとか、そういったことで、やっぱり自分たちだけでは見えないものを、お互いが多様性を大事にすることで見えてくる。その過程を大事にしています。
もう1つ、これは細かいので、詳しい話はしませんが、ちょうど1年前に、日本の温暖化の中期目標をどうするか。私も福田懇談会のメンバーとして、いろいろ議論していた時ですが、やはり政府で議論していてもだめだなと。つまりもう、みんな役割分担で、経産省はこういう立場、環境省はこういう立場、だけなので、それではあまり大きな動きは生まれないのではないかと思い、いろいろな研究者や、いろいろな立場の人に来てもらって、あと市民の方、50~60人に来ていただいて、温暖化の目標を考える上で何が必要なのかということを考える、そんなセッションをしました。
最近だと、温暖化懐疑論で有名な武田邦彦先生という、「温暖化してない」「したっていいんだ」みたいなことをおっしゃる方がいらっしゃいますが、この武田先生と、温暖化していて問題だという私、それから国立環境研究所の江守さんと3人で、かなり丁寧な鼎談をしました。
『温暖化論のホンネ ~「脅威論」と「懐疑論」を超えて』
武田 邦彦・ 枝廣 淳子・ 江守 正多 (著)
意見の違う人たちと、どういうふうに話をするかという点でも、けっこう学びがありました。やっぱり、いらいらしたり、むっとしたりすることも、あります。私はこう思っているのに、「違う」と言われちゃうわけですから。
だけどそこで、「違うよね」で終わっちゃうと話が進まないので、どこまでは一緒なのか、どこが違うのか。違うとしたら、それぞれ何を根拠に違うと思っているのか。それを丁寧に追うということを、この本の中でやりました。
この本は、鼎談をそのまま本にしたものなので、読んでいただくとわかりますが。本には「むっとした」とか、そこまでは書いていませんけれど。
温暖化懐疑論には、3段階あるんですね。最初の段階というのは、温暖化そのもの、温度が上がっているということを否定する懐疑論です。武田先生に確認すると、「温度は上がっています」と言うんです。ですから、その懐疑論ではないんですね。
2段階目の懐疑論というのは、温度は上がっているけど、人間のせいじゃないという、人為的な原因に対する懐疑論です。武田先生にそこを確認したら、「全部と言わないけれど、人間のせいもあります」と言うんです。そこは私と全然変わらないんですね。
武田先生と全然意見が違うのは3段階目の懐疑論のところです。対策の懐疑論です。「温度が上がっていて、人間のせいだけど、何もやる必要はない」というのが武田先生の意見です。私は対策をやる必要があると思っています。そこはどっちかと言うと、科学というよりも価値観の話だったので、一致はしませんでしたが、少なくとも、どこが一緒でどこが違って、違うのはなぜかという話はできました。
こういう、いらいらする時間も含めて、丁寧な対話というのをやっていかないと、いつまでたっても「賛成派」「反対派」という議論では進まないんじゃないかなと思っています。
そういう意味で言うと、これは今後の私の課題の1つですが、原子力についても、そろそろ、そういった意味の立場を超えた話し合いをしていかないといけないし、そのために自分に何ができるかなと思っています。
真の対話をするためには、これもあとで小田のほうから、もしくは午後に話があると思いますが、「ダウンローディング」をしないことです。いつもは自分がもうわかっていることをダウンロードして、「あ、これはこのパターンね」とか、そういうふうに答えることが多いと思いますが、今その瞬間に、自分が100%いるということ。これが真の対話のために大事です。「そういうふうに言われたら、こう答える」みたいな、立場とか、いつもの自分の考え方をどれだけ緩めることができるか。自分のいつもの思考を1回脇に置いてみる。suspendと英語で言いますが、脇に置いてみることです。
これは、トレーニングすればできます。どうも、一生懸命相手の話を聞くと、それを受け入れることになっちゃうんじゃないか、という心配をする人が多いです。もしくは、自分の意見を言わないと、それは負けちゃうんじゃないかと。言い含められたというふうに見られるんじゃないかと。そういうふうに心配する人が多くて、話を聞く前に「違う」とか言っちゃうんですね。
そうじゃなくて、最後まで聞いて、「あ、そうなんですね。で、私はこう思いますよ」といえばいい。そうすれば、話はできると思います。そのときに、どっちがいい、悪いで決めてしまうのではなくて、割り切らない力。これも、これからの真の対話のためには、とても大事だと思っています。
もう1つ大事なのが、いわゆるメンタルモデル。「これって、こういうものだよね」という、意識・無意識の思い込みです。これにどれだけ、自分のメンタルモデル、自分の会社のメンタルモデル、自分の業界のメンタルモデル、日本のみんなが持っているメンタルモデル。それに気がついて、緩めることができるか。
よく、いろんな人と話していて、「意外だな」と思うこと、ありませんか? 「こんなふうに答えるだろうと思ったけど、こんなふうに答えてきた。あ、意外だな」――この意外というのは、自分のメンタルモデルの外にある答えが返ってきたときに思うことです。
なので、「あ、意外だ」と思ったら、そもそも自分は何を想定していたのか、ちょっと自分に聞いてみると、その人とかその状況に対する自分のメンタルモデルがわかります。それに縛られないでもいいということですね。
いろいろな、社会にもメンタルモデルがあるし、私たち人間が、これまでの経験からつくり上げているメンタルモデルがあります。
(※私たちのメンタルモデルを浮かび上がらせる実験を2つほどやりました。文字では伝えられないので、ここは略します)
ですから、ある企業にとって、ある組織にとって、ある人にとって、当然こう見えていることが、まったく同じものが別の人には違うように見えている。それは、「どっちが正しい」という話をしてもしょうがない。「私にはこう見える。あなたにはこう見える。では、全体はどうだろう」という話をするしかないわけですね。
こういった形で、やはり見方が違う。それでも擦り合わせをしていくのは、共通のビジョン、同じ向いたい所があるからです。自分を超えて、やはりつくり出したいものがある。だからこそ、面倒くさい議論とか対話とかをしてでも進んでいこうと思うわけです。
最後に、ダライ・ラマの言葉で終わりたいと思います。私たちの世界というのは、すべて関係性の中である。これは仏教の教えです。そのいろいろな関係性のことを、仏教では「縁起」といいます。「縁起がいい・悪い」と、私たちはそれしか使いませんが、仏教で縁起というのは、システム思考で言う、矢印でつながる因果関係のところです。
そのときに、ダライ・ラマがよくおっしゃるのは、「私たちが今やっていることは、未来への良き種をまいていることなんだ」と。ダライ・ラマは、非常に困難の中で、苦しい中でずっと生きてこられた方ですが、それでもあの朗らかさを失わないのは、今やっていることは、未来への縁起につながるからだという、その信念がすごく強くていらっしゃるんですね。
縁起というと何となく、昔のことから今というふうに思いますが、今、私たちが何を考え、今、私たちが何をやるか。これが未来をつくり出す。未来への種になる。
という意味で、縁カをつくり出す力、そしてつくり出し続ける力。これを私自身も身につけたいと思っているし、ぜひ皆さんと一緒に勉強しながら、そして自分の組織とか、自分自身とか、社会とか、世界とか、できるだけいい形に、未来への種をまき続けることができればと思っています。
私の話はここまでです。ありがとうございました。
(終わり)