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アメリカの医療問題を、全体の視野から考え、対話するためのシミュレーション・ゲーム「Health Bound」を紹介します。
http://forio.com/simulate/simulations/index.html?id=80
先進国の中でもアメリカの医療制度は深刻な問題を抱えています。アメリカの医療費はGDPの16%に及び、一人あたりの医療費は世界でもっとも多くなっています。医療保険は私的保険と高齢者・障害者・貧困層向けなどの公的保険との混合システムですが、複雑な仕組みになっています。医療費はインフレや賃金よりも増大スピードが大きく、今後は家計や企業会計、国家予算、GDPにも深刻な影響を与えることが予測されています。
高い医療費にもかかわらず、乳児死亡率は高く、平均余命も多くの先進国の後塵を拝しており、先進技術を誇っているにもかかわらず、WHOによる医療制度の質ランキングでは37位に甘んじています。また、富裕な先進国の中にあって皆保険を持たないのはアメリカだけで、推定4700万人もの人が保険に加入できず、人種や経済格差から医療を受ける権利や公平なアクセスが問題となっています。
このような課題を抱えるアメリカの医療制度改革は過去70年の間に幾度と行われて、紆余曲折を経てきましたが、現在もオバマ政権の抱えるもっとも難しい政策課題として議論が続いています。
改革がうまくいかない一つの理由は、さまざまな利害関係者が、自己の主張を繰り返すばかりで、他の利害関係者の意見を無視または軽視していることと考えられています。
また、政策決定者はそのときどきに求められる医療サービスへのアクセスの改善、医療の質の改善、医療費抑制など、個別の課題に対応するものの、システム全体を改善する視点が見られません。短期にそれぞれの課題解決の直接的な成果を出そうとするために、その間接的な作用によって他の側面で弊害が出たり、システムの抵抗を生んだり、あるいは効果が出るまでの時間が勘案されずに評価が決まってしまいます。
加えて、医療制度改革の焦点が、病人向けの治療の側面に集中しており、健康な人や半病人向けの予防措置が重要と言われ続けながらも、突っ込んだ具体的な提案はほとんどされていない状況にあります。
このような状況を改善すべく、疾病管理センター(CDC)とジャック・ホーマーらシステム思考のコンサルタントが、医療制度改革に関するシミュレーション・ゲーム「Health Bound」を開発しました。このモデルは、過去蓄積された医療制度の研究や膨大な統計データに基づいて開発されたものです。全米の医療全体を統合し、単純化したゲームではありますが、現実さながらの社会・経済的な相互作用を再現しています。プレイヤーはさまざまな政策案を長期にわたって実験し、それぞれの政策の長短を見出し、どのような政策の組み合わせが最大の結果につながるかを試すことができるのです。
(このモデルのベースになっている構造のループ図はこちらをご覧ください。)
このシミュレーション・ゲームの目標は、寿命、健康、医療費、そしてアクセスの公平性の4つの指標による総合得点を最大にすることです。プレイヤーはそのために、12の政策分野から政策を4つまで同時に選択でき、2003年の状態を初期値として、5年間毎の意思決定を5回、25年分のシミュレーションを行い、政策の結果をさまざまなグラフで確認することができます。
ゲームを行った参加者は、政策の非直感的な結果や相互作用を実感します。とりわけ、どのような政策の組み合わせや導入タイミング、順序がよいかについての洞察が得られます。
例えば、アメリカでよく議論される皆保険制の導入について、賛成論者はそれによって公平性が高まると考えますが、シミュレーションの結果では、皆保険の導入だけではアクセスの公平性は実現できません。
皆保険によって死亡率や疾病率は改善しますが、医療サービスへの需要も増えます。恵まれた人の需要は医療機関で吸収されますが、恵まれない人の需要には医療機関が対応しきれません。特にプライマリーケア(一次医療)と言われる診療所の不足から、恵まれない人は慢性疾患に関して医療機関で治療を受けるのがむしろ難しくなっていくので、アクセスの格差はむしろ拡大します。また、プライマリーケアが十分受けられないため、恵まれない人による専門医や緊急病棟の利用が増え、医療費の増大を招きます。
プライマリーケアや専門医の医療の質を高めると、皆保険導入以上に死亡率・疾病率を改善することができます。しかし、訪問回数が増加し、薬剤の利用が増えることから医療コストは増大し、また、皆保険同様に、プライマリーケアの供給不足からアクセスの格差が助長されます。
診療報酬の削減は、当初医療費の削減にはつながりますが、医療の質は低下します。それによって死亡率・疾病率は悪化し、とりわけ慢性疾患でその傾向が強まります。疾病率の悪化から訪問回数が伸びて医療費は増え、削減成果を縮小させます。また、収入低下によって長期的には医療機関の数が減少し、死亡率・疾病率はさらに悪化、そのために医療費削減効果は消えてしまいます。
こうしてみると、いずれの政策も単独で実施するだけでは医療制度改革はうまくいかないことがわかります。そこから、どのようにほかの政策を組み合わせれば、望ましい結果を出せるかを探求することが可能となります。
さまざまな組み合わせを実験する中から、医療アクセスの格差を是正し、医療費を削減できる2つの政策が浮上してきます。一つは、恵まれない人向けのプライマリーケアの供給能力を増やすこと。診療所の効率化、診療所の診療報酬の増加、あるいは恵まれない人向けの診療所の仕事に就く医学生への支援などで供給能力を増やすことができます。恵まれない人の医療サービス需要に対応しつつ、緊急病棟の利用が減少するので医療費削減にもつながります。
2つ目の政策は、より川上に目を向けて、恵まれない人のほうが疾病・傷害が多い傾向を是正することです。たとえば、生活環境の改善や生活習慣の見直しによってリスク行動を削減できます。或いは教育・職業訓練の充実や家計の支援によって、恵まれない状況から抜け出すことも有効です。これらの政策が効果を生むには数年間を要しますが、長期的に見れば死亡率・疾病率を改善と医療費削減にもっとも大きな成果を生み出します。
このシミュレーションが開発された目的は、国内の医療関係者がよりよい医療制度に向けての舵取りのために何ができるかを考える「探求のためのダイアログ」を行うことにあります。ゲームでシステム全体像の洞察を得た後に、ファシリテーターによって、国レベル或いは地域レベルの政策について話し合います。
さまざまな政策を主張する利害関係者は、自己の主張に有利な枠組みを使おうとします。Health Boundは、全体像を描き、また中立的なモデルを提供することで、さまざまな利害関係者の政策を評価したり、協働、調整するための、共通の枠組みとなることが期待されています。
文献:
Bobby Milstein, et al. "The 'HealthBound' Policy Simulation Game: An Adventure in US Health Reform", 27th International Conference of the System Dynamics Society